福島県教育センター所報ふくしま No.15(S49/1974.3) -001/030page

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所長 白岩和夫

巻頭言


 所長 白 岩 和 夫  


現代は大きな転換期であるといわれる。社会の変動が目まぐるしく,価値観が混乱し,人間性喪失の問題が問われている。教育もまたそのらち外ではあり得ず大きな激動の波を被って来ている

教育は,時代の変遷に超然とし人間の本質に即してその在るべき方向を指し示すべきものである。と同時に時代の要請に即応すべき面を持っていることもまた否定することはできない。この意味で,自主性・創造性の育成ということが現代教育の最も大きなねらいとなり流れとなっていることは,変転して止まない時代に生きる人間を育てるという要請に応えるものとして当然であると言うことができよう。教育目標の設定から日常の教育活動の末に至るまで,このことが現代教育の最大の課題の一つになって来ている理由がここに在る。

しかし,果たしてこれは時代の要求による即事的なものとのみ考えるべきなのであろうか。J・S・Brunerの「発見学習」理論などの一連の新しい教育理論のみに基づくものとしてよいのであろうか。

明治22年に福沢諭吉が発表した「文明教育論」(時事新報)には次のような一節がある。

「……其の事に当り物に接して狼狽せず,能く事物の理を究めて之に処するの能力を発育するは随分出来得べき事にて………」

このことばは,実学主義に立った教育論であるとともに,教育における創造性育成の重要さを力説したものと考えることができる。なお

「……人学ばざれば智なし。故に学校を建てて之を教え之を育するの趣向なり。しかし,如何に智に値うちありと言ふとも,ものを教ふればよいといふものに非ず。

徒らに課業を増すのみにては,人の天資を傷い活発敢為の気象を委縮せしめて,結局世に一愚人を増すのみ…。」とあり,むやみな注入教育が人間性を損じ,自発性・創造性を抑圧することを述べている。現在の受験競争による詰込教育がいかに人間を傷っているかの鋭い指摘ともなるものであって,先人の深い洞察に讃歎の念を禁じ得ない。それと同時に,自主性・創造性の育成が単に時代の要請や新しい教育理論によるに止まらず,教育の本質につながるものであることを知るのである。

また,山鹿素行の「山鹿語類」には次のようなことばがある。「其の節未だ至らざるをしひて是を教戒する時は,節を失うが故に教戒皆煩労して益なし。其の節を詳に考へて時分に相応いたせる教を専らとし,其の間に先後本末を考量して,先んずべきことをまづ教ふる如く仕るべし。…………」

これは発達段階や個人差に即し教材を系統化して指導すべきことを言ったものと考えることができる。このことは学習指導の真髄に触れたことばと言ってよいであろう。

自主性・創造性の育成や発達段階・個人差に応じ教材を系統化して指導することは,教育の研究と実践において常に追究されるべき最も基本的であり最も重要な課題であろう。

さて,教育センターも設立以来3年を経過しようとしているが,上述のような基本的な問題をはじめ教育の諸問題についての研究と研修の場として,またそのための資料センターとして,その機能をじゆうぶんに果たせるよういっそうの充実整備を期している。県下1万9千の教職員ならびに関係各方面の忌憚のないご意見と暖かいご協力をいただけるならば幸甚これに過ぐるものはない。


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