福島県教育センター所報ふくしま No.15(S49/1974.3) -002/030page

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探究的に学習をすすめるための研究

小 学 校 教 材

発見学習を効果的に行なうための資料の価値と位置づけ

第1研修部  寺  島  康  信

1.社会科の特質

社会科という教科の特質を一般的な形でとり出すことは,まことにむずかしい。普遍性を追求すれば,没価値的で抽象的なものになり,逆に個性的な特質をとり出そうとすれば,具体性と現実性はもつが,普遍性は失われてしまう。しかし,ここで社会科の発見学習を論じ,その実践をしていくとなれば,この社会科の特質をどうとらえるかという問題は避けて通ることはできな。

発見学習の理論でいわれる社会科の特質は,普通つぎのようにとらえられている。

(1)社会科の親学問どうしに,きわめて大きな多様性と異質性がある。

(2)同一学問内においても,きびしい対立が共存している。

(3)事実と事実の間に,たえず人間がかかわりをもつような因果律(関係あるいは関係の関係)をとらえることに社会科の本質がある。

(4)社会科はどの領域の単元をとってみても,価値観の介入は免れない。

(5)社会科の学習は,リアルな現実に迫れば迫るほど,相関性や統合性をおびてくる。

以上の五つが社会科の基本的な特徴の一端とおさえてよいのではなかろうか。

2.社会科の発見学習がもつ特徴的な条件

社会科の特質を以上のようにとらえ,社会科に発見学習をとり入れるという場合には,「みつけだす学習」を中心に考えていくわけであるが,この同じ「みつけ出す学習」で展開するといっても,算数科や理科あるいは国語科とは,同一にできない特徴的条件をもつものである。そうした条件を列挙し,それに簡単な説明を加えたいと思う。

(1)発見の対象になるものは,因果律といえるようなものから,傾向性と表現すべきものまで,多種多様である。学年によってちがうのみでなく,題材によっても非常に大きな差があると思う。

(2)理科のような実験検証ができないから,学習過程の中で小刻みな検証や評価がしにくい。本来ならば発見的・創造的な思考は,課題をとらえ,予想をたて,仮説にたかめる……といったそれぞれの段階で,小さな評価が含まれるべきなのだが,社会科はこれが困難である。だから拡散的思考で,アイディアや予想をどんどんひろげていくことはできても,それを有効な作業仮説にしぼっていく集中的思考が,他教科よりもとりにくい。検証の決め手としては,統計資料・史料・関係文献などの他に,映像や実地調査や見学などが普通は考えられるが,客観性にも乏しく,小刻みに使えない不便さがある。

(3)社会科の発見学習が本格的に展開できるのは,普通4年生くらいからといわれている。それは歴史的な時間認識が,社会科の学習過程では要求されることが多いこととかかわりがある。社会認識における生成過程を重視する必要性についても,自然認識とちがって,その時間的なスパンスが長いため,生成過程をたどらせるということが,歴史的なアプローチと重なることが多いからである。一方,子どもたちは,空間意識にくらべて,時間認識がよりおくれるといわれるためでもある。

(4)社会科では子どもたちの具体的な生活経験からのルートを活用することが多い。しかし,特に低学年の場合,私たちの町をただちに日本の町へと一般化してしまう危険性を多分にもっている。したがって,発見学習の展開にあたっては,典型教材と個や特殊との対話に,より一そうのくふうが必要であろう。テレビは学校放送も一般番組も含めて,典型教材の提供という機能,豊かな具体性と臨場感をもたせて,先行経験をひろげる機能,一般化された客体と,具体的な個との往復をスムーズにする機能などをもちあわせているから,活用のしかたによっては,かなり効果があると思う。

(5)授業がオープン・エンドで終わる可能性が大きい。一つの関係をとらえたり,そこにとどまるのではなく,つぎからつぎへと,たこの足のように関係づけの鎖を自由に発展させていくこと……これこそが社会科の本質であり,生命である。「静的な適応から動的な変革へ」・「批判的思考の育成」といった大きなねらいも,こうした根から育つものといえよう。社会科の発見学習がこのねらいを目指すのであれば,発見の対象の自由な発展を最大限に保障することを痛感すべき


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