福島県教育センター所報ふくしま No.16(S49/1974.6) -001/025page
最近教育の問題が大きくとりあげられ,一方では参院選の争点のすりかえだといきまいている。保守革新の逆転の成否に関係なく,いやそういう客観情勢であればある程教育の中立性ということがますます重要になってくる。文部省の施策の反動性や日教組の偏向性をただ非難しあうだけでは正常化は望まれまい。ただ教育の論議や現場にイデオロギー論争だけは持ち込むことは絶対にさけなければならないと思う。欧米の教育事情視察の折,私は各地で教員組合の幹部と会うように努力した。カナダでは校長は有力な組合員であり,ある地区では校長が専従の委員長だった。ストは法律で禁じられており,教員を専門職として認めさせるべく努力中だが容易でないとのことだった。米国ニューヨーク州では組合は校長,教科主任,一般教員の三部会に分かれており,ある地区の教育長は教育に関係して40年になるがその間ストを経験したのはただの二回だけだといっていた。どこでもイデオロギー的対立は全くなく共に教育条件の改善と身分待遇の向上に努力していた。
教育は生徒の自主性を高め・創造性をのばすものでなければならぬという。同感である。然しそのために文部省の示す教育課程や指導要領は有害無益であるという論はどうであろうか。私はかつて高校1年を終わった転校希望者のテストを各担当の先生にやってもらった。英・数・国それに簿記の4科目は水準以上だが社会の地理だけは零点であった。よくきいてみると1年間東名高速道路の沿線のことを自主的にやらされただけだそうだ。教育課程の自主編成もこれでは困るのである。
教育の中立についてある人は自民党にも共産党にも等距離でなければならないという。抽象的・観念的にはまさにその通りであるが思想・信条・政治的立場の異なる人が等距離を保つことは大変難しいことであろう。然し私はここにその生きた実例をのべてみたい。
よど号のハイジャック事件で初めて連合赤軍なるものの組織の存在が知られるようになったが,その初期の委員長といわれる塩見なる男が事件後間もなく逮捕され,いまなお未決でいる筈である。彼の妻は公立学校の教員であったが彼女の夫はそのような過激派に属していることは同僚は誰も気づかなかった。彼女の日常の勤務はごくまじめであった。学習指導,生活指導でも学校の方針や指導要領をよく守り,校務分掌も積極的に行ない,校長や教頭とことさらにかまえることも殆どなかったという。その彼女が夫の逮捕後しばらくしてある雑誌に手記をよせた。「権力側がみな知っていることをいまさら何も隠す必要はない」という書き出しで始まり,連合赤軍なるものの成り立ち,その思想行動や夫との出合いから結びつきまでくわしく説明したあとで,「私はあくまで夫の思想行動を支持しどこまでもついてゆく」と全文激しい調子で述べている。そして彼女は最後に「しかし私は子供たちに反体制を教えようとは思わない。それは子供たちが将来おとなになって自分自身で考えて決めるべきことだからである」と結んでいる。私はこの女教師は立派であり偉いとさえ思った。
微力な私が教育センターの仕事という大役をおおせつかり恐縮しているところであるが,所員一同力を合わせ先輩の業績をふまえながら本県教育の将来を展望しつつ最善の努力をつくす覚悟である。各位の御指導御援助を切こお願いする次第であります。