福島県教育センター所報ふくしま No.17(S49/1974.9) -001/026page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

丑 込  幸 男

     巻  頭  言



第1研修部長   丑 込 幸 男


         学 校 教 育 へ の 期 待


 今日の学校には教育の現代化が普及・浸透し,学校自体は教育改革への方向にむかってめまぐるしい変化を示している。

 その改革の一つは「教育の人間化」の問題である。それは,全米教育協会が「1970年代の教育の中心的テーマは Humanizing the school(学校の人間化)である。」と提唱したのにはじまる。それは「教育はあくまでもひとりひとりの個人に奉仕するものでなければならない。」というのであり,従来おろそかにされがちであった中間の子どもたちに目をむけようとする新しい児童観・教育観の提案である。この考え方は,イギリスのプラウデン・レポート(1967)やユネスコの第3回成人教育推進国際委員会における P.ラングラン・レポート(1965)にもみられる。日本の教育界もまた例外ではなく,こうした方向への意識の転換に迫られている。

 これは,「なんのための学校か」を明確にしたものであり,ひとりひとりの子どもが自己実現の意欲に燃えて主体的に学習するようにしむけるために学校は全力を傾けるべきことの宣言でもある。それは,子どものひとりひとりの問題点のとらえ方,感じ方や考え方をだいじにする指導の徹底である。そのためには,まず,教材あるいは教育内容について,一定水準まで到達させなければならないものと,個人の能力差や適性のちがいによってさまざまな反応を自由に伸長させるものとの区分けをしなければならない。同時に,子どもの発達との関連で達成すべき時期についてもじゆうぶん検討を加える必要がある。これはカリキュラムの改革にかかわる内容であり教材の精選に関することである。

 一方,子どもたちの学習の成立にはさまざまな型があるといわれる。それは単に時間的な遅速だけのことではない。だから,その子どもに合った型によって授業がすすめられると,その子どもは内容をよく理解し積極的な活動をする。自我関与も高まる。しかし,その反対の場合には,子どもを萎縮させ,自信を失わせる結果となりかねない。教師は,指導の条件を整え,その方法をくふうして,これまで見失ったり見誤まったりしたかもしれない子どもの能力を再発見し,ひとりひとりの可能性に応じてその伸長(変容)をはかるための努力をつづけなければならない。そのためには,表面にあらわれたもの,数量化しやすい対象を評価し,見やすい部分だけをばらばらに取り出して調査や測定をして,人間のランクづけやレッテルはりをするという弊害を除去しなければならない。これは一つの岩石を示して吾妻山というに等しい。学校は子どもの調和的発達を希求しながらその指導活動をするのだから,その子どもが内に持つ能力や可能性の質や方向や程度などについてそれを受容し,全体として理解できるところまでいくように,さまざまな配慮をしなければなるまい。

 これからの学校は,従来のように,同一年齢層の児童・生徒が共通の目標で進む集団の活動ばかりでなく,多様な目標と多種な学習方式が併存することになっていくであろう。そこには,教材・教具・時間割・教室環境・指導技術等,これまでと異なった多くの学校革新が求められる。こうした事態に対処するためには,未来社会を志向した学校の教育目標を設定し,その具現化をはかる具体策を樹立することが必要である。そして,いたずらに未来論にまどわされることなく,その目的を達成するために,阻害条件を身近かなところからとらえ,毎日の指導活動の中で一つ一つ丹念に取り除く仕事を着実につづけていくことが緊要であろう。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。