福島県教育センター所報ふくしま No.20(S50/1975.3) -001/026page

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高橋写真

 巻 頭 言

           所 長   高 橋 幸 一



 ガンの患者に,ガンであることを知らせるべきか否かについては,医学界においても長い間真剣に論議されてきた。修養を積んだ高僧でも,ガンであることを告げられればショックでとり乱すのが通例であり,まして普通の人は打ちひしがれて自暴自棄になったり,半狂乱になってもあたりまえである。そのため,当人にはやはり知らせない方がよいというのが通説のようである。

 須賀川市に矢部さんという内科の医院がある。私が若いころ,そこの先代で,いまはなくなられた矢部秀文先生のところに下宿させていただいたことがある。その時のことである。先生がももにできたおできがなかなか治らないので,不審に思い組織を切りとり束北大医学部とガン研に送った。結果はいずれも,ガンのうちでも最も治療の困難な悪性の肉しゅということだった。検査の結果は先生が患者の診療中にとどいた。それを知った時,先生はしばらくめい想しておられたが,やがて診察室にもどり診療をつづけられた。素人ではなく,その病気の何たるかを知りつくしている先生の,その時の心境を私はただそばからおしはかっているだけだった。

 2人のお子さん方は,それぞれ医者として立派に成長し,経済的にも何ら心配はなかったのであるが,先生は翌目からも平常と何ら変わることなく診療を行い,それから1年近く,どうにも耐えられ在くなって入院されるまで続けられた。その間,冬の夜も患者がくれば診てやり,夜半,吹雪(ふぶき)の中を3キロ以上も徒歩で往診もされた。ホトトギス派の俳句をよくし,その後も毎月の雑誌で高浜虚子の選にはいり,句会には欠かさず出られたが,作句は人生を諦(てい)観したようなところは全くたく,ホトトギス本流の花鳥風月を詠んで若々しいものであった。

 なくなられる1週間ほど前,私はどうにも自分を押さえることができず,先生にその態度の偉大さ,崇高さと,人生の何たるかを身をもって教えていただいたことを口に出して申し上げたところ,病院のベットに上半身を起こされて,「ほめていただいてうれしい。しかし,私は人間として当然のことをしたまでである。人は働けるうちは働くべきものと思う」と話された。

 現在は週休2日制,レジャー,福祉の拡大等の声はますます大きい。スタグフレーションは,大衆社会における身勝手な要求の結果といわれる。けれども,不思議なほどに勤労の尊さや必要性を説く声は少ない。教育の場で職業観の確立や勤労意欲の向上をいえば,大資本に奉仕する働き手を作る意図だとか,軍国主義的反動道徳という短絡的批判や,教条主義的反論が戦後30年を経ても相も変わらず続いているのである。しかし国家,民族でも,あるいは家庭でも,おう盛な勤労精神とともに興り栄え,勤労精神の衰退とともに滅んでいくのは歴史の明示するところである。

 勤労精神の衰えは自制心,克己心,忍耐力,持続力のない青少年を大量生産し,強い意思カ,論理的思考カ,創造性,豊かな感受性,責任感を欠いた欠陥青少年が多くでることになったのではたかろうか。また,手のかかる家事や育児を拒否し,子供をコインロッカーに入れ,あるいはドラムかんで焼き殺す女性を出現させているのではないだろうか。

 私は教育センターで機会あるごとに研修においでになる先生方と,愛国心,勤労,礼節,親孝行について話し合いをしてきたが,今後もたゆまず続けていきたい。

 私は矢部先生という人生の師表を得たことをしあわせに思う。


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