福島県教育センター所報ふくしま No.21(S50/1975.6) -001/025page

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高橋写真

   巻 頭 言

               所 長   高 橋 幸 一



 小野田元少尉は,ブラジルに永住するために日本を去った。その時彼は,「日本では古い生き方,生活態度に対する尊敬の念が失われている。ジャングルでは生きるに適している場所かどうか一目で分かるが,日本では分からない。」という言葉を残していった。現代世相をおもい,教育の現状をおもうとき深く考えさせられた。

 敗戦を機に戦後は,思想でも,教育でも,道徳でも戦前のものを否定し,復しゅうすればそれで万事うまくいくと考えられたようである。そしてその最たるものは教育勅語であり,修身であり,これらは,口にすることさえも忌わしいこととされた。戦後の教育の指針である教育基本法は,立派なものであることに異論はない。しかし個人の尊厳とか,人格の完成ということだけでは国民一人一人の生活に結びつかない。戦後のあらゆるものの理念である日本の民主主義は,いまやエゴイズムの別名となっているのではないか。

 教育勅語はその天皇制的修辞のために,その内容まで完全に葬られてしまった。しかしそこには,親子,兄弟,夫婦,友人,あるいは博愛,勤倹,学問,そして社会生活,国家生活の各般にわたって,何をなすべきかが示されていて,どの民族,どの国家,どの宗教的立場からみても中庸を得た,妥当なものではないだろうか。そして,過去,現在,将来にわたって通用する真実ではないだろうか。

 昭和33年に道徳教育が復活したが,いまなおこれを教育課程に組み入れるのに大変苦労しているところがあるときく。道徳といっても,そこで深遠な哲理や思想教育をやろうとするものではない。まして体制維持や,反体制を説く場でもない。人間が社会生活を営んでゆくための,最低限必要な生活様式というか,行動様式というか,マナーを学ぼうということではないか。

 清水幾太郎氏は,いわゆる進歩的文化人と称せられる方であるが,あるところで次のように言っておられた。「戦後初めて渡欧したときのことである。スエーデンのホテルでエレベーターを待っていた。そこには自分と同じように,エレベーターに乗ろうとする人が10人位いた。エレベーターが降りて来て,自分の前でドアが開いたので,すぐに入って突きあたりのところで入口に背を向けて立っていた。いつまでたっても誰も乗って来ないので,振り返ってみると,その10人ばかりの人びとがお互いに『どうぞお先に』と譲り合っているではないか。私は向こうを向いたまま顔から火が出る、思いだった。それからは行動がひどく臆病になり,結局,生まれ育った東京の日本橋で,老人たちが守っていた作法を守っていれば,ヨーロッパのどこに行っても恥をかかないで済むということを学んだ。それ以外の,学問とか,政治や経済についてはあまり得るところがなかった。その後何度か外国を訪れても同じで,かれ等は,よい伝統を非常に大切にしている」と。

 田中前首相は,「五つの大切,十の反省」ということを言って,マスコミや野党の物笑いになった。田中さんにそのことを言う資格があるのか,また,マスコミや野党に,これを笑う資格があるのかは別として,よいことはよいのである。古いものでもよいことは,これを受けつぎ,教え伝えてゆかなけれぱならないと思う。

 価値観の多様化というが,実際は多様化でなくて,価値観の混乱,または価値観の喪失ではなかろうか。喪失したものは,これをとり戻さなけれぱならない。


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