福島県教育センター所報ふくしま No.25(S51/1976.2) -001/026page

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巻 頭 言

高橋幸一氏の写真

所長 高 橋 幸 一

最近私は,若い青年教師の結婚の媒酌をした。二人とも,福島大学の教育学部を出て,現在千葉県の小学校の先生をしている。式の日取り等の打合せのとき,新婚旅行はどうするのかとたずねたら,「いや,子供たちの顔を見ていると,どうしても学校をあける気にはなれないので,旅行は,夏休みにでも,ゆっくり出かけようと思っています。」ということだった。事実,彼等は,日曜日に福島で式を挙げ,月曜日から教壇に立った。

今は先生には,―週間の結婚のための有給休暇があって,当然の権利としてこれを行使してあたりまえである。右をみても,左をみても権利権利という声のみ大きくて,責任を果たし,義務を全うするという声は,めったにきかれない現代世相の中にあって,私は,明治の青年教師をおもわせるような,この二人の若い教師に,珠玉のような尊さと美しさを感じた。

教育課程の審議会が,「教育課程の基準に関する基本方針について」という「中間まとめ」を発表した。今次の改訂の発想から,中間まとめに至るまで,―貫して流れていることは,「精選」「負担軽減」 「ゆとりのあるものに」ということである。これからは,いよいよ各論にはいる訳だが,これまでも全く同じことが言われ,なされながら,各教科のエゴイズム,分捕り合戦の結果,今日にいたっていることは周知のとおりである。

そこで,これは私の全くの私見であるが,この際,学校五日制にふみきってみたらどうであろうか。私達が海外教育視察をしたとき,文部省から依頼された主たるテーマは,学校の五日制についてであった。視察国8ケ国のうち,社会主義国―つを除いて,あとはすべて五日制であった。カナダでは,学校四日制について,すでに実際の検討にはいっていた。

我が国で,週休二日制というと,すぐにレジャー施設が足りない,レジヤーのための金がないという議論になる。学校五日制といえぱ,すぐ,それに見合う社会教育施設や,社会体育施設がないという。あるいは,子ども達の塾通いが,さらにエスカレートするだけだという。しからば,週休二日制,学校五日制を完全に実施している国では,レジャー施設や,社会教育・体育施設が完備しているのであろうか。たしかに,日本より,そうした面で進んでいる面はあるが,それだけではないと思う。大きな違いは,おとなも子どもも,二日の休みのうち,―日はレジャーや休養にあてるが,あとの―日は多くの人は教会に行き,またポランティア,つまり社会奉仕の活動をすることである。

アメリカのある高等学校を視察したとき,体育施設を案内したそこの50才位の体育科主任は,ここの体育館も,週1回は,夜9時まで―般市民に開放されていると説明した。そこで我々視察団員は,その間,誰が管理するのか,誰が命令するのか,勤務形態は,手当はいくらかといった質問を次々とやった。すると,その体育主任は,しまいに怒り出して,何故君達は,命令とか,手当とかいうことばかりきくのか。夜9時までの管理は,私がやっている。誰からも命令されないし,手当も―切ない。そうすることが私の義務である,といわれ,―同しゅんとなつてしまつた。

永井文部大臣は教育の中に,助け合いの心を持たせようといっている。1点でも多く,1人でもけ落とそうとする今の教育の現況と対置されるものは,権利の主張と同じように,義務・責任を果たし,奉仕の心を持たせることではないか。教育課程の改善は,何も教科書をうすくし,教科数を滅らすことだけではあるまい。


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