福島県教育センター所報ふくしま No.33(S52/1977.10) -001/026page
巻 頭 言
8月に入って間もない頃,市内のある幼稚園の先生から「園児30名と教育センター見学をしたい。魚や昆虫などの飼育の様子とそれらの標本類を見せていただきたいがよろしいか」という電話があった。
幼稚園児の見学というのは始めてなので,お見せできるものがどの位あるか調べてから後日お返事しますと即答をひかえた。
電話をきってから係一同話し合ったが脳裡にうつるのは動物園などでみられる興奮と喜びに溢れて走りまわる子供たちの姿であり,とてもここでは期待にそえるようなものは用意できまいという結論になった。
それで見学はお断りして標本はお貸しする事で納得いただいたのであるが,後日標本を借りにきた2人の若い先生はいくつかの標本をとり上げて,「これを見せたら子供たち大喜びでしょう。すばらしいです」と子供のように興奮して,やがては「私たちでもこのように作れますか,作り方を教えてください」と話がエスカレートしていった。
園児たちは周囲の自然に全く溶けこんで生きている。
新らしいお友達(虫や花など)ができるともってきては先生に質問をする。夏休みの後は大変なんですと,2人の先生はかえって喜しそうに話していた。
好奇心の固りのような園児の毎日はさぞ「ゆとりと充実」そのものであろう。
そして,その分だけこの2人の先生の陰のご苦労が続けられてゆくのである。
「ゆとりある,しかも充実した学校生活」というスローガンを聞くたびに7年前の海外視察を想い出す。
アメリカの高校で何人もの生徒に,学校生活は楽しいか悩みごとは何かという質問をしたが,楽しい,悩みごとはないという返事ぱかりがかえってきた。
みな晴ればれとした顔つきで屈たくがない。
校長をプリンシプルと呼び,生徒会長をプレジデント記録係をヒストリアンと名づけて得意になって活動している。
学校側も多くの選択教科を用意して生徒が自分の進路や適性や生活に合ったものを選べるようになっていた。
Band,Chorus,Business Law,Home Economics,Math・Ana1ysis,というように。
また,ある学校には4週間で完結するミニコーススケジュールという科目を256も用意していた。
私たちが訪れたとき,生徒達がどの科目をとるかを選んでいる光景に出会った。大変な騒がしさの中に,生徒達の夢と期待が渦まいているのを感じたのである。
1人1人みな性格も違えぱ体格も違い,能力も多種多様である。平等と個人差という一見矛盾したかのように思える哲理を理解し,実践してゆくことがアメリカの教育の根本理念の1つである。
そして理解よりも実践力がみなぎっている姿を見て私自身も薄れかけていた情熱に火がともった思いを感じた次第である。
どこの国でもこれでよいと満足している国はない。
どこの国でも多くの教育問題を抱えていると思う。
そして,どこの国でも大胆な創意と勇敢な実践を通して1歩1歩前進して行こうとしている。
先ほどの幼稚園児のように,幼児は実験観察が大好きなのであり,それによって学んでいるのである。
今世紀初頭,発見的教育法(化学教育)を世に送ったH.E.Armstrong教授の言をお借りして拙文を終りたい。
ほとんどの子供達は生れつきそのような作業を好む。われわれの教育体系は,年が進むにつれて,その感覚がおとろえることに対して大きな責任がある。