福島県教育センター所報ふくしま No.34(S52/1977.12) -001/026page

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巻  頭  言

研究・相談部長 長 谷 川  勇  二
研究・相談部長  長 谷 川  勇  二

 最近,民芸品ブームでふるさとの玩具が見直されているが,こけしも例外ではない。こけしの愛好者のひとりとして最近のこけしブームは大変嬉しいことである。東北の厳しい自然と生活の中から生まれたこけしは,江戸時代の末期から永い年月を経て,今日もなお工人の努力によって生き続けている。その伝統の重みをしみじみと感じさせられる。

 私がこけしに興味をもったのは,今から20年前秋田に出張の時,街の一軒の店先で求めた木地山こけし(梅花模様)であった。その1本のこけしがきっかけであったが,多少本腰を入れて集め出したのは,(350本ほどだが)私がこけしのふるさと土湯での勤めの時からであった。こけし工人・今泉源治氏宅にお世話になり,その時,現名人の佐藤佐志馬氏とのこけし談義は,大げさに言えば私のこけし入門であり,こけしに対しての開眼でもある。今はそれらのこけしを押入れにしまい込んでいる状態であるが,時々それらの中から1・2本とり出してみるといろいろな思いにかられる。

 教育とは,教え,育てることだと言われているが,かつての教え子に教師に感化されたとか薫陶を受けたとかという意識が,なくなっているとしても,それは,子どもの成長を示すものだといってもよいと思う。教育というものは,忘れられていくもの消し去られていくようなものであろう。

 このこけしにしても,その人の作ったこけしができ上ったと同時に工人の手から独立していくような気がする。今,眼の前にあるこけしは,工人が意図したものであるかどうかは別として,それは,それで確かな存在であり,私に語りかけてくる何ものかを持っている。

 いくつかのこけしは工人が魂をこめてつくりあげたものだけに情がうつり,何か「主となる心境」となって,部屋の空間にゆるぎない現実性をもっておさまっている。そこに「随処に主となる」禅の教えが生きているようにも思われる。そして,その部屋は私の部屋で,そのこけしが占めている何十センチかの空間は,だれの手にも届かない別の世界があるような気がする。

 こけしの表情から,ある時は悲しみを,ある時は愛らしさを感じとっていたが,それは年令やその時の心情によるもの,感じる私自身の気持によるものだと思っていた。こけしは変らないが私の気持の変化により,こけしの表情からさまざまな想念がうかんでくるものと思っていた。しかし,最近はその考えが変りつつあり,それは,私自身の気持だけでなく,こけしも変っているのではないか。あるいは,こけし自身が持っている喜怒哀楽の情が,私の気持を変えるのではないかと思う。こう感じてくると,今までのこけしの中に言うに言われない人間くささが感じられてならない。

 バルザックが最後にたどりついた作品は,「人間喜劇」であった。そこにえがかれているのは人と人とのかもし出すさまざまな人間模様とでもいうような,おろかさであり,小さな怒りであり,ほんのつまらぬ利己主義であった。そうした現実のさまざまな世相,人物の生き方を彼は喜劇とみた。一般的な常識からみれぱ,作家の最後に到達する心境は,そうした,ちりあくたのような人間の業を乗り越えた永遠に静ひつなもの,それは,いうなれぱ宗教的な悟りのようなものであろうが,バルザックの最後に興味を持ったものは,そうではなくさまざまな人間くささの世界であった。

 ロダンの代表作の一つにバルザックの像があるが,この作品をみて「おお!怪物」と評されたときく。これはバルザックの人間くささを如実に表現したためであろう。つまり,ロダンにして初めてバルザックの人間そのものの本質をつかみ表現し得たということであろうか。

 教育とは,忘れ去られるもの,消し去られるものと言ったが,しかし,考えてみれぱ,子どもと共に考え,喜び悲しんだりしたこと,つまり,人間くささはぬぐい去られるものではない。言うなれぱ,最後に残るのは人間としてのつきあい,そのものであろう。そこに教育のおそろしさがあり,自らえりをただす厳粛さがあるといえる。ちょうど,眼の前のこけしのように――。


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