福島県教育センター所報ふくしま No.36(S53/1978.6) -009/034page

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中学校教材


身近な地域」に関する教材開発の一例


一地方都市における「人ロドーナツ化」一


教科教育部 吉田伊勢吉


  1.はじめに

 最近は、大都市ぱかりでなく、地方都市においても都市化の進行はめざましく,いわゆる「人ロドーナツ化」が認められるようになってきた。

 この「人ロドーナツ化」によって,もっとも大きな影饗をうけるのは中心市街地周辺の小学校で,そこでは教室満杯,学級増,さらには学区分割による新設校の開設の必要にせまられる。これと対照的に,ビルがたち並ぶ中心市街地の小学校や市街地から遠く離れた外縁地の小学校では,児童数の減少に伴う学級減,分校の本校への統合がみられる。

 こうしてみると,小学校の新設,統合,廃止や児童数の変動などは,ある時代のその学区の人口現象が端的に反映された結果生じたものであり,この意味において,小学校はその地域杜会の動向をうつしだしている鏡であると言える。

 ここでは,都市化の程度を知る指標として小学校児童数をとり上げ,その変動から福島市の地域区分を行うとともに,その変動要因の分析結果をもとに,県内のおもな都市における「人口ドーナツ化」を類推し,社会科地理的分野の指導資料の参考に供したい。

2.小学校児童数の増減からみた三つの地域

 終戦時以来減りつづけた福島県の公立小学校児童数は昭和28年の276,044人を減少の極としたが,これ以後はベビーブーム期の就学者をむかえて増加の一途をたどり,昭和34年,346,565人でビークに達した。その後は再び減少傾向をたどり,昭和50年にはビーク時の約半数の181,839人となった。こうした県全体の最近の傾向のなかで,県庁所在都市として人口吸引力をもつ福島市においては,昭和45年を境にして小学校児童総数は増加に転じた。

 増加に転じた学校をその年次ごとにまとめると,41年瀬上・笹谷,42年森合(新設)・鎌田,43年杉妻・大森,44年渡利・岡山・月輪・余目,45年矢野目・吉井田・荒丼・野田,47年清沢(48年統合移転し蓬莱小)・平野・東湯野・庭坂の計18校を数える。この傾向をくわしく検討するため,前期(昭和40〜45年)と後期(45〜50年)の二期にわけて,その増減傾向から対象校を類型化してみると,(1).前期・後期ともに減少した23佼,(2).前期は増加し,後期に減少した2校,(3).前期は減少し,後期に増加した9校,(4).前期・後期ともに増加した10校,の4つのタイプになる。この分布を第1図に示した。

 減少傾向をたどる(1)のタイプは,旧市内の中心郡に位置する小学校群と,外縁地の濃業地滅に位置する小規模校群とに大別される。後期になって増加に転じた(3)は,増加傾向に注目すると(4)のタイプに包含される。(2)は清水小と土湯小からなるが,人口急増区に位置する清水小が(2)のタイプになった背景として,森合小の新設に伴う学区分割,信夫山トンネル開通に伴い福四小との間に行われた学区変更をあげることができる。市街地に位置する福四小が(3)のタイプとなったのも,この学区変更が関係したためであると思われる。

小学校児童数の増減による学校別類型

第1図 小学校児童数の増減による学校別類型

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