福島県教育センター所報ふくしま No.38(S53/1978.10) -001/030page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

巻頭言

生徒指導に思う

経営研究部長  古関 順世

経営研究部長 古関 順世

今年の夏は全く雨が少なく,炎天続きの文字どおりの酷暑の連続でした。おかげで今年の果物は例年にない甘さで,桃もプドウも私ども消費者には喜ばれるおいしい物であった。わが家の庭にも―本の桃の木があり,2〜3個実をつけた。この桃も赤く色づいてきたのでどんなにかおいしくなったであろう。そして,わが家産の物となればその味もまた格別であろうと期待しお盆の頃収穫して試食することにした。この桃をよく見ると,表皮に班点があったり,虫の入ったあとがあったが,いくらか食べられるところもあろうと皮をむいてみた。ところが,果肉は全く虫に食い荒され,虫のつかない所は腐っていて,ついに,ひとかけらも口にすることができないでしまった。もっとも,一度の消毒もしないで,なり放しにしておいたのだから致し方ないとあきらめた。

その時,ふと脳裏をかすめたものがある。それは,私ども日頃の生徒指導で,わが家の庭の桃のように,外見期待感をもたれるような場や施策を提供するが,その中味は禁止事項,注意事項,申し合わせ事項等に食い荒され,児童生徒がそれを食べようとしても全く味気ないものとして与えていることもあるのではなかろうかと。

こんなことがあって数日後,朝日新聞の社説に「長髪事件に揺れる私立高校」という見出しで,生徒指導にかかわる問題点を論述していた。そして,また数日後,今度は名古屋で小学生4人がパン運搬車の荷台にとじこめられて,幼い生命を絶つという事件が発生し,なんだか目の前が暗くなるのを感じた。この高校も小学校も日頃生徒指導には,いろいろ工夫をこらし配慮していたことであろうに。

私ども生徒指導上,よかれと思って行う施策なり,よりよい成長発達のためにと思って与えるものであっても,児童生徒にとっては味気ない,また熟さない果実であったり,中に食い荒された果実であったり,食べてはみたが,はき出してしまったり,手に取ってみたがすぐ投げ捨ててしまうものであったりしないか。また,それがために禁断の果実にとびつき取り返しのできない問題をひき起こしてしまうのではないかと思った。

ところが,人間の好みは多様であり,同じ桃でも固い物を好む人,密のしたたる軟かい桃を好む人と差があり,甘味の強い果実を好む人と,酸味の割合強い果実を好む人等さまざまである。このように考えると,児童生徒の口に合う果実を―律に作ることは不可能なのかも知れないが,はき出してしまったり,投げ捨てられる果実であってはなんにもならない。このためには行き届いた丹念な肥培管理を行う必要がある。この過程で有機燐剤を用いると防虫効果は抜群であるが収穫した果実は極めて危険な食物となるという。さてもむずかしい果実作りである。

生徒指導上児童生徒に与える魅力ある果実は何か,こどもたちがそれに参加し,実践して生きがいと,やりがいを感じる果実は何か,われわれ教育職がその夢の果実を作り与えることが教職の専門職に与えられた使命なのかも知れない。ともかく熟れたおいしい果実を児童生徒に与えたいものである。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。