福島県教育センター所報ふくしま No.41(S54/1979.6) -001/038page
―巻 頭 言―
量から質へ
所 長 佐 藤 信 久
情報洪水とか情報ラッシュということばが使われ,情報禍社会ということばが自然に出てく るような時代が続いている。ひとつひとつ吟味するいとまもないままに,次から次へとおし寄 せてくる情報の波に対して,自分にとって真に必要とするものは何かと選択するのに苦慮する ことも,しばしば経験する時代である。
最近,郵政省が出した53年度の「通信白書」をみる機会があった。それによると,35年度の 情報量を100とすれば50年度には既に800を越し,また情報の消費率においては35年度が40.8% であったのに対して50年度は10%を割るほどに低下している。そして「情報公書」といった一種 の情報過剰状況を作りあげたものは,情報の供給量と消費量のかい離であったと指摘している。
こうした現実を考えてみると,あたかも一匹の魚を捜し求めて大海の中の魚群を追い続けて いるような感じさえする。特に教師の立場にあっては,教えても教えても教えきれることなく, 情報の量は日に日にふえてゆく現実に,不安と焦燥にかられるという声を耳にすることがある。
たしかに,教え尽くせないほどの量があれば,教材に事欠く憂いはないが,それゆえにこそ,精 選によって,より少なくとも,より価値の高いものを求めて,かえってより少ないものを教え なければならないとも言えるのではなかろうか。児童生徒にとって真に必要なものは何かと探 つていったときに到達するエキス,それをこそ徹底的に教えこむことが,かえって教育効果を 高めることになるのではないかと思うのである。あり余る情報の中から,そして数多くの教材 からエキスを凝縮する作業は大変な努力を要することは今さらいうまでもない。画期的といわ れる新しい教育課程に移行する時期にあたって,われわれ教師に寄せられた期待の一つは,教 師ひとりひとりが創意と工夫をこらして教材を精選し,それを徹底的に教えこむことであると 思うのである。多くを与えようとして消化不良をおこさせたり,みただけ聞いただけで食欲不 振をおこすような教え方では,せっかくの善意もあだになってしまうからである。むしろ精選 されたものを徹底的に教えこむことによって,新たなものが発見され,体験され,ひいては事 に処して自ら解決できる能力が培われ,人間形成に役立つものが期待できるものと思う。ゆと りと充実の秘けつは案外こんなところに潜んでいるのではないだろうか。
国立教育研究所の牧昌見氏は「ゆとり」について,目的ではなく手段である。量ではなく質 である。部分でなく全体であるといっている。教育もまさに,あり余る量から質への転換期に 入ったとみるのはいいすぎであろうか。