福島県教育センター所報ふくしま No.41(S54/1979.6) -002/038page
特別寄稿
新教育課程の根底を問う
郡山女子大学短期大学部教授 長谷川 寿 郎
新教育課程については,多くの解説が出されてい るし,すでに移行措置の2年目にもなっているので あるから,各学校においては,既に十分な取り組み がなされていることと考えられる。したがって,今 さらめかしく解説を筆者などが行う必要はないであ ろう。
しかしながら,今次の新教育課程による学校教育 の改善は,従前の改善の場合よりも,いっそう深く, それは,世界史的転換が想望されるべき史的境位に おいて,21世紀への国民教育を志向して行われるも のでなければならないという意味で,吟味されなく てならないであろう。
このような見地がら,新教育課程をその根底にお いて支えるもの,というよりはむしろ,支えなけれ ばならないものに目をむける必要がある。そうする ことによって,今次の改善の意味を充実する実践の 基盤を確かなものにしたいと思うのである。以下の 小文が,果たしてそれに値するかどうか,ご批判を願 わなければならない。と同時に,新教育課程の編成 の実務に当っては,その基盤となるものについて既 に当然十分な考察が行われているとなれば,この小 文の如きは無用の贅言である。いたずらに紙幅を,費 すことについて,ご寛恕を願わをければならない。
なお,このような次第であっても,教育改善に対 して思いを致す者の一人に,所見を表明して大方の 批判を請うことを得しめるという意味においてこの 小文も認められるならば,まことにありがたい。
1.新教育課程の基準における人間像について
教育課程は,望ましい人間への育成のための教育 の計画であることは,先刻承知のところであるが, この望ましい人間の人間像をどうおさえるかが,す なわち,教育の目的を確かにとらえておくことが根 本であって,このための計画でなければならない。 このことも当然わかっているのではあるが,教育課 程の編成の実務の過程では,ともすれば,所与の教 材の排列,時間の配分等に傾斜してしまいがちにな らないか。
教材は,この望ましい人間像への育成のために, 果たして充分ふさわしいものであるか,この指導の 時間配分は,児童・生徒の実態に即して,この目的 達成に対してふさわしくあるのかが,深く検討され るべきであることも,言をまたないところであろう。
こういうわけで,望ましい児童・生徒像をどのよ うにおさえているかを,教育課程審議会の答申につ いて,再確認する必要があると思うのである。
さて,教育課程の基準の改善のねらいの第一項に, 人間性豊かな児童生徒を育てることとあって,さら に,このためには,ひとりひとりの児童生徒に対し, しかじかのことなどに特に留意する必要があるとし ている。
この内容は,人間性豊かな児童生徒の資質条件中, 今日の状況に即して,特に重要なものをあげている と見ることができよう。すなわち,人間性豊かな児 童生徒を,のぞましい人間像と見,その資質内容中 特に重要と考えられるものをあげているとするにつ いては,異論のないところであろう。
これを,教育の目的,目標という視点から整理し てみると,豊かな人間性は,これは目的とすること ができ,つぎのように目標をおさえることができよ う。すなわち,
(1) 自ら考えるカおよび創造的な知性と技能
(2) 強靭な意志力および自律的精神
(3) 自然愛,人間愛を大切にする豊かな情操
(4) 正しい勤労観
(5) 社会連帯意識や奉仕の精神に基づく実践的社会性