福島県教育センター所報ふくしま No.43(S54/1979.10) -001/034page

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巻 頭 言

次長兼教科教育部長 根本 敏雄氏

子どもの「とりえ」を見いだせる教師

次長兼教科教育部長  根  本  敏  雄

 県内各学校におかれては,よりよい授業の実現を目指して,校内研究を組織的・計画的に実施し,授業の充実改善を図って努力しておられる様子,まことに心強い限りであります。

 ところで,この校内研究における主題設定についてでありますが,「ひとりひとりを生かす学習指導法の研究」に類するものがここ2〜3年,特に多く目につくようになってきました。ちなみに,昨年実施しました県内小中学校における現職教育の実態調査の結果によりますと,小学校で31.0%,中学校で30.6%もの学校が「ひとりひとりを生かす……」という主題を掲げて実践しているという事実がわかりました。

 つい最近まで,「落ちこぼれ」,「落ちこぼし」をどについての批判論争が教育界内外を大きくにぎわしてきたということにつきましては,お互い記憶に新たなところであります。その論争の結末は必ずしもはっきりはしておりませんが,今日,校内研究の方向が「ひとりひとりを生かす」という教育本来の姿に着目して推進されてきておりますことは,これらのことと全く関係なしとはしないように思われます。それにまた,このようを研究主題の取りあげ方は,単に本県のみに見られる特徴ではなく,小・中・高を含めた全国的に見られる傾向のようでもあります。

 それでは,「ひとりひとりを生かす」ということについて,各学校ではどのように受けとめておられるでしょうか。一般的には,能力別グループによる学習とか,プログラム学習の手法を取り入れた学習とか,教育機器導入による学習など,さまざまな方法を駆使して学習の個別化を図り,主題にせまろうとしているようであります。だがしかし,ここで考えさせられることは,「ひとりひとりを生かす」ということを,前述のように「方法」としてとらえる前に,このことばの根底にある人間観ないしは教育観のようなものをぜひ明らかにしてかかる必要があるのではないということであります。それは,どんな子どもにもその子なりの「とりえ」があるということであります。即ち,子どもの可能性の肯定ということが前提になければ,実りある成果は期待できません。子どもの欠点や短所だけが目につき,だめな子ども,見込みのない子どもという見方をしている限りにおいては,これは単なるかざりことばにすぎなくなってしまいます。子どもの病理的側面を対象にしてきた従来の研究に対し,「ひとりひとりを生かす」とは,子どもの「とりえ」,いいかえれば子どもの健康的な側面に深くかかわっていくことになるわけですから,これまでとは違って大きく発想の転換が要求される研究ということができるのではないかと考えております。


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