福島県教育センター所報ふくしま No.44(S54/1979.12) -001/034page

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巻 頭 言

科学技術教育部長 小林 四郎氏

自 然 を 知 る

科学技術教育部長  小 林 四 郎

 東京に住むある知人が,家族連れで秋の裏磐梯を訪れた時,「このような自然の中で生活できる人々がうらやましい」と語っていた。この言葉は,その土地に住む人々に対する儀礼的賞賛の意が全く無いとは言えないにしても,コンクリートジャングルの中で生活している知人が、秋の一日豊かな自然にひたり,その感激が思わず口に出たものと思う。
 たしかに,春の新緑・夏の渓流・山頂からの雄大な眺望・秋の紅葉など,写真や絵では表し得ない美しさを秘め,見る人の心をとらえるものである。
 このようなことを考えているうちに,ふと思い出したことがある。

 その一つは,かつて教育事務所に勤めていた頃,ある分校を訪問した時のことである。時期は秋,分校への山道は,秋を謳(おう)歌するかのように紅葉が陽(ひ)の光に映え,その美しさに心を奪われてしまった。それで,分校に着くやいなや「景色はいいし,良いところですね」と感激をそのまま口にしたのであるが,分校の若い先生が,「気候の良い時においでになるとそう感じるでしょうが,雨の日・雪の日においでになってみないと,ここの実態はお分りにならないでしょうね」とつぶやかれた。そのつぶやきを耳にし,はっとさせられた。
 その後,へき地校に勤務し,自然の美しさや自然の中での生活の良さを満喫するとともに,自然のきびしさを痛感させられ,前のことと併せて,忘れ得ぬ体験である。

 次は,前任校で二十数年続けている夏のキャンプでの出来事である。ある年,キャンプ地に着いた頃から雨が降り出し,雨のあい間を縫ってテントは張ったが,その後も強い雨が断続的に降り,テントの雨もりは続出し,キャンプ地はさながら泥田のようになってしまった。翌朝,二泊三日の計画をあきらめ,ほうほうのていで引きあげた。二日目には,安達太良登山やキャンプファイヤーを予定していただけに,多くの生徒は「残念だ」を連発していた。しかし,中には,「都会地にいては気付けない自然のきびしさにふれ,本当に貴重な経験をした」と語っていた生徒もいた。この言葉は,あるいは負け惜しみだったかもしれないが,生徒の心の成長ぶりにふれた思いがして,内心嬉(うれ)しさを覚えた。

 近年,「かけがえない自然」「限りある資源」といったことが叫ばれ,自然に対する関心を高めようとする動きが盛んであるが,この際重要なことは「自然を知る」ことである。新しい学習指導要領でも「自然を愛する豊かな心情を培う」「自然と人間とのかかわりの認識」「科学的自然観の育成」などを理科の目標として掲げ,自然の理解を重視している。
 自然景観や自然物に美しさを感じることは,自然に親しみ,関心をもつうえで重要ではあるが,自然を知るうえでの,ある一面に過ぎない。自然に接する機会を多くし,自然事象を表面的に「見る」だけでなく,注意深く・ありのままを・多面的に「観(み)る」ことが必要であり,さらに,自然に働きかけて「診る」態度も必要である。
 こうして,自然のしくみを徐々に明らかにするとともに,その過程で,自然の美しさ・奥深さ・偉大さなどを感じた時,はじめて「自然を知る」ことになるのではなかろうか。


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