福島県教育センター所報ふくしま No.46(S55/1980.6) -001/038page

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 巻 頭 言

佐藤信久

墨   色

 ― 創意と工夫 ―

所 長  佐 藤 信 久


 筆・墨・紙・硯これらを文房四宝と呼んでいる。そのうち硯は,半永久的な使用に耐え,紙も保存さえよければ,かなりの寿命を保つことができる。しかし筆と墨だけは消磨が激しく,特に墨は全く姿を消してしまうまで酷使されることが多い。筆は手入れがよければ,かなりの年月使用でき,使用に耐えなくなったものは,土に埋められ,筆塚として供養される。筆はもって冥(めい)すべきである。墨は,わが身をすりへらし自らの生命を没却して始めて自己の使命を全うするという宿命のようなものをもっている。私はこのような墨に愛惜の情を禁じ得ないのである。
 先日,久しぶりにある書道展をみる機会があった。筆は実によく走り,構成もよくできているが,墨色で効果を減退させている作品が少なからず目についたのである。まっくろなもの,粗製のインスタント墨汁を使用したもの,宿墨(宵越しの墨)と思われるものには,いやしくも書の品位は認められない。出品し評価を受けようとする以上は,自ら墨色を考えて製作する態度が必要だと思う。悲しい離別の詩には濃墨でごてごて書くよりは淡墨で感情を表現した方が効果的であり,剛毅果断の四字には内容からして濃墨で勢いよく書く方が適切である。同じ墨でも題材によって濃淡さまざまな色合いを工夫することが創作の基本である。私がかつて教えを受けた半谷松湖先生は,霊水といわれる富士山の金明水をもって墨をすられたということをお聞きし、感銘を新たにしたことがある。
 さて,80年代は教師の時代ともいわれる。教師のもつ人格が,そのまま児童生徒に影響することとあいまって,可能性を秘めた子どもに,どう手を貸していくべきか,教師の創意と工夫が今日ほど要請されるときはあるまい。創意も工夫も無から突然湧いてくるものではなく,日ごろの絶えぎる研修の積み重ねの中から生まれるものだと思う。そして「どうしたらよいか」という問題意識が前提になければならない。湯川秀樹博士は「創造性を高めるためには,執念深く追求する態度を養うべきである」といっている。博士の体験から出た名言だと思う。「墨をかえ,濃さを考え,あれやこれやと試し書きをしているうちに,この題材には,これだというものが豁然(かつぜん)と開けてくる」ときいった某書家の言は,湯川博士の言と揆(き)を一にするものだと思う。昨年,欧米の教育事情を視察する機会を与えられ,アメリカのバージニア州ロアノーク市教育委員会とのお別れパーティーが開かれたときであった。パック教育長が私の質問に答えて「教師の生命は究極的には白己の個性を生かした工夫をもつことである。そうでなければ,ティーチングマシンでこと足りる」と簡潔に語りかけたそのことばが私の耳底に力強く響いてくるのである。
 ものいわぬ墨にも個性が秘められている。いつかは消滅する運命をもちながら,真に墨を理解し,墨を生かすものによってのみ自己の生命を顕現していく墨の徳に感銘するとともに、多くの書友に墨の個性を開発してもらいたいと思うのである。そして,すべての教師がおおいに創意と工夫を発揮され,新教育課程実施に向かってそのねらいが少しでも達成されることを期待したい。


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