福島県教育センター所報ふくしま No.46(S55/1980.6) -016/038page
< 随 想 > 親 と 子 経営研究部 吉 田 昭 典
家庭が子どもの成長にとって,特に大切であることはいうまでもない。
乳幼児は家庭で,親の全面的な保護と影響の下に成長する。親はその社会の継承者として,次の世代の子どもに多くのことを伝えていく。
家庭の中で親が行う意図的なしっけの効果はもちろん大きいが,これとともに重要をのは,親の何気ない日常の生活の仕方や態度が子どもに模倣され習得されるということである。たとえば,どんなことが夫婦のあいだで話題とされているか,どんなことば使いをしているか,どんなことを好み,どのようなことに心の痛みを感じているかなど,このようなことが親の考える以上に子どもに影響を与えているのではあるまいか。子は,親から素質をうけついでいる上に,長い期間にわたって生活をともにし,親をモデルにしているので,生活態度,価値観,性格など,いろいろの点で子どもは親に似てくるのである。
わが国の母親は,子どもを自分の分身と見て,それとの一体感をもちやすい。また,子どもを自分のところに引きとめておきたいという気持ちも,わが国の母親には強いといわれている。
しかし,子どもは成長とともに,親への依存度が減り,その子ども自身の生活領域をもつようになる。自分自身のぺ一スで歩ける独立した人間になるためには,親から次第に離れていくことこそ望ましい姿ではあるまいか。
母親から離れ,母親の影響の及ばなくなることを悲しいことと考え,むりやり自分のところに引きとめようとして,親子のトラブルをおこすことも多い。
しかし,親は,親から離れゆくわが子の姿を見たときに,それが,ひとり立ちしていく過程だと考えて,喜びながら見守り,なお不十分なところを支えてやれる母親が望ましいといえるのである。
最近,家庭における父親の役割が論議の的となっている。音は,それぞれの家に家風があり,個性があった。その個性をつくり出した中心は親であり,特に父親であったといわれている。
今日では,家庭において,役割上父親,母親の区別がなくなり,「母親の代行をする父親」が増え続けている。当然父親の権威の失墜がおこり,家庭内における「親と子」の関係も,あいまいな状態におかれたままの家庭生活が続いている。
「育てるものと育てられるもの」,「しつけるものとしつけられるもの」の区別がうすらぎ、親の姿の中に白分の姿を見ようとする子どもの目標が家庭内から失われつつあるような気がしてならない。
子どもには,ひとりひとり違った個性があり,これは,2,3歳児にも,すでに認められている。子どもを育てるということは,まず,この個性がどんなものかを知ることから出発すべきであろう。
組織的,意図的教育は,学校教育を中心にしてなされるが,ことばの使いかた,感情のあらわしかた日常のさまぎまな習慣,道徳的感覚などは,幼い時期に親を通して学んでいくことは非常に多いのである。親の態度しだいで子どもの将来は大きく左右されるといっても過言ではないであろう。
親には親自身の人生の問題があり,社会的問題もあるはずである。それらを考え,親も人としての成長を続けていかなくてはならない。親がひとりの人間として,誠実に正しく生きることが,子どもにとっては非常に大切なことではなかろうか。