福島県教育センター所報ふくしま No.50(S56/1981.2) -001/042page

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巻頭言

所報50号発刊にあたって

教学相長

所長  佐藤 信久

所長 佐藤 信久

当教育センターの起源は昭和23年11月,県教育研修所が設置されたときにはじまる。以来名称も場所もいくつか変わり昭和40年4月には,現在地に県教育研究所が設置され,同時に理科教育センターが発足し従来の面目を一新したのである。そして昭和46年4月,これらを統合拡充した教育センターが,当時としては全国屈指の施設設備を誇る教育の殿堂として誕生した。教育センター「所報」もこのとき呱呱の声をあげたのである。

私はこの稿をとるにあたって,所報の創刊号を端念にひもといてみた。当時の県教育長の三本杉先生,所長の白岩先生のあいさつの中に,そして高校長協会長の池下先生,小・中学校長会長の新井田先生,大須賀先生の祝辞の中にも,発足当初の教育センターに対する期待のいかに大きかったかを心の奥にひしひしと痛感するのである。

教育センターは研修・研究・奉仕の三つの事業を柱として,常に学校教育に対応できる態勢を確立し,新しい時代の流れをとらえた今日的課題と,長期的展望に立った教育の課題を模索しながら,所員の知恵をしぼって,教育効果の向上のため努力を続けてきた。「所報」もまたこの一環の事業として当教育センター発足以来,年5回一度の休刊もなく,たゆまず歩み続け,年々拡充されながら多くの先生方の御活用をいただいてきたのである。ここに50号を発刊するにあたり,古きをたずねながら新しきをさぐってみたい。

1960年代から70年代にかけて,わが国の教育は量的拡大という面では大きな成果をあげてきたように思われるが,一面において質的な歪が随所にあらわれたことも否定できない。かかる現実に立つとき,この歪を是正し質的な向上を図ることは今後80年代における最も重要な課題だと思うのである。折しも画期的ともいうべき新教育課程が小・中・高校を通じて実施されるときでもある。授業の改善や創意・工夫がいかに叫ばれても,この新しきものが絵にかいた餅にならないためには,まず教師の資質の向上が前提になければなるまい。既に,中央教育審議会はその課題の一つとして教師の問題をとりあげて検討し,「教師の資質能力の絶えざる向上を図ることは,我が国教育の発展のための基本的課題である」と答申し,世論の動向を確認している。施設設備がいかに整備され,教育方法が進んでも,教育における動力の主体であり,教育における教師の果たす役割はますます大きくなっていく。けだし「教師の時代」ともいわれるゆえんである。

中国の古典,五経の一つである礼記(らいき)の一節に,「学びてしかるのちに足らざるを知り,教へてしかるのちにくるしきを知る。………教学相(あい)長ずるなり。」と述べている。教えることに徹すれば,ますます学ぶことの必要性を痛感するものである。そして教えることと学ぶことがあいまって,みずからの資質が向上するのである。最近,雪国につとめる若い先生からいただいた年賀状に「ことしは雪が多くて正月には帰りません。子どもたちにスキーを習い,私は勉強の楽しさを教えるつもりです」とあった。私は子どもたちに習うという姿勢に深く感銘を受けたのである。


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