福島県教育センター所報ふくしま No.52(S56/1981.8) -001/034page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

次長 羽田義光

巻頭言

 自 ら 学 ぶ 意 欲

      次長  羽 田 義 光


先日,小学校の算数の授業を参観する機会があった。その際,特に印象深かったのは,ある一人の児童の発言を契機にクラスの子どもたちの意見がにわかに沸騰し,ついには学級全体が二つの意見に分かれ互いに主張し合い,活発な学習展開となった。途中,教師から資料の提示や助言があり,小グループによる討議も行われた。時間の経過とともに子どもたちは,いろいろな認知葛藤を経験し,当初思いつかなかったより高次な考えを生み出し一つの結論に達した。そして,終末時の子どもたちの顔は,どの子も充足感に満ちた明るい表情であった。この授業から,児童はそれぞれが柔軟な頭脳を持ち,生成発展の意気に満ち満ちているものであること,自己の解法に執着を示す子を見たら,それは,その子にとって持てる知識や力を最高度に発揮している状態ととらえるべきであること,また,反対あるいは異なる意見があってこそ,子どもたちの思考は練られ学習は止揚されるものであることを,あらためて認識させられたのであった。

さて,過日発表された教育白書,昭和55年度「我が国の教育水準」では,学校教育の課題として,小・中・高の各学校段階を通じて,児童・生徒が自発的な学習を生涯にわたって続けていくための意欲と能力の涵養(かんよう)を図ることをあげている。いま,問題となっている登校拒否,暴力,非行,おちこぼれの児童・生徒を無くす決めては何なのだろうか,それは,つきつめていえば,白書が述べている学習することに楽しみと喜びを覚え,自ら進んで学ぼうとする意欲の育成にほかならない。

ところで,学習意欲に関して次のような意見を聞く。例えば,外面的な活動を含む持活は面白いけれども,それの少ない内面的・知的な教科になるとさっぱり面白くないという子どもが多いとか,子どもの思考には,子どもらしい発想なり順序があるのに教師はそれを受け止めかねているとか,さらには,教師は教材研究と同時に個々の子どもの性格や性情をとらえる努力がもっともっと必要であるなどである。これらの意見から考えなければならないことは,学習意欲というものは,一人ひとりの子どもに帰属する要素であるということである。だから,学習意欲を育成するためのポイントは,学習しての満足感・充足感を子どもたち一人ひとりに味わわせることであろう。そして,その満足感・充足感は,未知を自らの力できり開き新たなものを獲得した時,すなわち,成功した時に生まれる。従って,一人ひとりの子に成功感を生むような毎時の授業を創造することが大切であるということである。

ともあれば,教師は,毎時間の授業の質的改善の視点をしっかりおさえ,それへ向けての努力を積み重ね一歩一歩前進していくことが肝要である。それにつけても,子どもたちに劣らない創造する柔軟な頭脳と生成発展の意気を持って自己研さんに励まねばと思うのである。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。