福島県教育センター所報ふくしま No.55(S57/1982.2) -001/034page

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巻 頭 言

教育相談部 横内 直典

感情的な心の交流

教育相談部 横内 直典



教育相談業務に携わっていると、面接の中で、よく親から、「うちの子供にいくら言ってきかせても、態度が少しも変わらないので、本当に困ってしまいます」ということを訴えられます。その時、逆に、「では、しつけとはどういうことでしょうか」と尋ねてみることがあります。その反応はさまぎまで、「厳しくすることです」、「しつけと言われても、どんなことだかよくわかりません」、「自分が子供の時に親からされたように、子供にもしているだけです」などの言葉が返ってきます。
たしかに、「しつけとは」と問われた時に、とっさに、「しつけとはこうこうこういうことです」と、答えることのできる人は少ないと思います。
しつけは、一回限りの行動で完成するものではなく、行動カ巧責み重なり、一定のパターンを獲得することによって、行動が習慣化し、定着するようになるものです。このことは、外面的なものが内面化し、状況によって簡単に消失することのないような状態になることを意味しています。
ところで、人格を構造的に考えた場合、その考え方にもいろいろあると思いますが、そのひとつに、第一は認識領域としての知識・理解、第二は技能の習得という形での技術的・技能的領域、そして、第三は感情的領域としての態度があり、これらが有機的に関連し働いて行動となり、その行動が、人格の現れであるという考え1方があります。
ところが、やるべきことがよくわかっていて、しかも、やり方がしっかりと身についても、行動化できないという現象はどうしてなのでしょうか。感情的な領域としての態度を育てるために必要な「やる気」を起こさせることが一番やられていなかったり、忘れられたりしているからではないでしょうか。即ち、3抽子揃わなければならないのに、2拍子しか揃っていないからではないでしょうか。
子供にとって、意識と行動のずれは、こんなところに問題があるのだかも知れません。
感庸の領域に迫る場合は、言葉の説明だけでやれるものではありません。説明すること - 認識や技能の領域に働きかける - では、とうしても、親対子供、教師対子供の上下関係が作用し、伝達することが主となりがちです。ですから、感情の領域では、上下関係が成立しにくいことや、教え;ることも難しいということを知っていなければならないでしょう。
親も教師も、子供とともに努力することによって、子供と同じ立場に立てるのではないでしょうか。子供の立場や行動を受け入れてやれば、そこにはじめて人間的な触れ合いが可能になると思います。
しつけも同様だと思います。子供の感情に働きかけるような触れ合いの中から、子供の「やる気」のある行動が生まれ、意識と行動のずれは、おのずとなくなるのだと思います。
このように考えてくると、お互いに、感情的なレベルでの交流を、もっと大事にしていかなければならないと思うのが、きょうこのごろの私の心境なのです。


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