福島県教育センター所報ふくしま No.55(S57/1982.2) -019/034page

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随想

雑感

(趣味)

事務部事務長 猪股 二郎


われわれは、よく、”あなたの趣味は?”ときかれたり、きいたりすることが多いものである。就職の場合の面接のときや、結婚の伸人をする者が双方について調査するとき、また、知人、友人などを紹介するときに、この趣味が活かされるものである。これは、その趣味によってその人間のもっている”心の広さ・暖かさそしてやさしさ”やそれに”社会性””協調性”などの一端をうかがい知ることができるからであろうか。

例年のことながら水温み、山の残雪も日毎に少なくなるころ、いわゆる年度変わりの節ともなれば、われわれの宿命ともいうべき人の動きが方々で見られるものである。悲喜こもごもに転出者を送り、転入者を迎える行事が行われる。この行事は、大変に意義深いものであろう。就中、転入者にとってはそのときから新しい職場となる出発点であるばかりでなく、人間と人間との触れ合いの始まりとなるからである。この触れ合いであるいろいろな場面に”趣味”が登場することが多い。その場面にお一ける形などは一様ではない。所属の長が予め調べておいたことを紹介する。あるいは、自己紹介の方法で紹介するものなどで、その場、その場の雰囲気によって行われるものである。これらは、お互いに相手方をより理解するうえで大変参考になっているのではないだろうか。

教育センターにおいても転入者を迎えるに当たっては全員一堂に会し、自己紹介の形で、ある者は、具体的に、また、ある者は簡略に、”出身地”などの生い立ちから、例の”趣味”などを述べなければならないのが贋例となっている。述べられる”趣味”の種類(?)は、大半が教師である職業柄か、やはり「読書」が多いようである。そのぽかは、「写真」、「囲碁」、「探石」、「盆栽」、「山登り」、「書道」、「謡」、「将棋」に「麻雀」などといろいろな事柄がつぎつぎと出てくる。なかには「趣味のないのが趣味」などと言う者もいる。ぽとんどの者が何等かの趣味をもっているものである。

わたしは、どのような場合にしろ、この趣味についてきかれるのが、何となく心苦しく思う者の一人である。というのも趣味として人前で述べられるものを持っているだろうか、と自問自答を繰り返し、結局自分には趣味といえるものなどないと決めてしまうのである。

そこであるとき、「趣味」について、辞書をひいてみた、そこにはつぎのように記されている。「趣味」とは、 1.感興をさそう状態。お一もむき。 2.美的な感覚のもち方。このみ。 3.専門家としてでなく、楽しみとしている事柄。とあり、改めてうなずくことができたのである。

「趣味のないのが趣味」などの趣味があろう筈がないではないか。今まで幾度となく、人前で言ってきたことについて、大変失礼なことをしてしまったと大いに反省しているところである。”モノ”にならない盆栽も、”コソコソ”とつまらぬものを集めているものも、自分なりに結構楽しんでいるものであれば、それは立派な”趣味”なのである。
数々の”趣味”には、それぞれにかなり幅があり、楽しみ始めたばかりの「小さな趣味」、また、その道の通と言われる「大きな趣味」と、趣味は生物のように、われわれのなかに生き、育つもののようである。勿論育てようとする努力や意欲が条件となることは当然である。

わたしは、「大きな趣味」でなくともいい、通と言われなくともいい、自分で本当に心ゆくまで楽しめる、そして味わうことのできる「小さな趣味」を育てようと思うこのごろである。そう心掛けることにより、その「小さな趣味」も徐々に育つであろうし、将来の心の糧となってくれるのではないかと期待しているのである。また、最近のように一晴報化のすすむ世において、ともすると誰もがガスガスした生活を余儀なくされようとしているとき、自分の”趣味”に他を忘れることができれば、高ずるストレスも解'消し、明日への新しい力となってくれるのではないだろうか。


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