福島県教育センター所報ふくしま No.57(S57/1982.8) -001/038page

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巻 頭 言

羽田 義光 次長

子どもの可能性と教師の姿勢

次 長  羽田 義光

 従来一般に行われてきた「一斉授業」は,教師中心の授業になりがちで,個々の児童生徒を生かす機会が少なく,いわゆる「落ちこぼし」の一つの原因をつくっていると指摘されてきている。教育課程の改訂以来,この重要なしかも早期解決を迫られている課題に対し,学校も教育研究機関も積極的に取り組み,改善に向けて種々の視点からの実践研究を進めている。例えば,それらの研究主題の中に「一人一人の子…」「どの子にも…」「個に応ずる…」などというのが目立つことからも分かる。学習は,個に成立しなければならないということ,つまり,クラス平均を高めることと同時に,一人残さずどの子をも向上させなければならない,という厳しい責務を学校教育が担っているとき,このような「個別化」に視点を当てた教育実践研究は,さらに今後も大いに推進する必要があろう。

 ところで,個別化教育の推進に関連して常に脳裏に浮かぶのは,ある書物にのっていたハーバード大学のローゼン教授が行った実験の成果についてである。彼は,子どもに対して各種の心理検査を行い,その結果を担任教師に知らせる際に,検査結果の数値を高い数値に変え,さらに「可能性を発見する特別のテスト」で分かったということにして,「この子どもは,今までバッとしなかったが,これからはグンと伸びる」というコメントをつけておくと,その後の検査で,伸びる可能性があると予告された子どもの成績が向上していった。同教授は,このような結果を生じた原因について,子どもに対する担任教師の指導観の変化をあげている。すなわち,教師の発問に誤った答え方をした場合,この子は何か考え過ぎしているのではないか,あるいは,教師自身の働きかけ方が間違っているのではないかと反省するようになり,いろいろ働きかけをする場合に,できるだけその子の可能性を引き出そうとする指導姿勢へ変容する。その結果として子どもの能力にそれが実現されることになったのであると指摘している。

 さて,この例からみても,子どもたちの能力は,決して固定的にとらえるべきではなく,教師の教育的働きかけのもとで,子どもたち自身が社会的経験を獲得していく中で培われていく,という動的なものとしてとらえるべきであると考える。したがって,研究協議などにおいて,時折り耳にする,知識の量そのものが能力であるという考え,知能・学力検査の測定結果が能力であるとする考え,あるいはまた,個人には生得的か獲得的かはともかくとして,持ちまえの能力があり,それは学習及び発達の可能性と限界を予見させるものであるという考えは,改めたいものである。

 ともあれ,一人一人の子どもは,心の内により大きく成長したいという切なる願いを持っており,やり直しのきかない1回限りの人生を生きる独自な人格である,ということを我々教師は,理解することが必要である。また,子どもは限りない可能性を秘めているという認識と期待を基盤に,子どもたちの持つ可能性と能力を発見し,最大限にふくらましてやる努力をすることこそ,なによりも大切な教師の姿勢であろう。


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