福島県教育センター所報ふくしま No.58(S57/1982.10) -001/038page
巻 頭 言
鬼志野 と 独創性
経営研究部長 加藤 茂雄
だいぶ前のことになるが,昭和48年の秋,福島市内のデパートでやきものの展覧会があり,いささか興味もあって会場に出かけたことがあった。それは「陶芸家月形那比古・鬼志野作品展」で,今でもそのときの強烈な印象が心に残っている。
陳列されていた作品は,茶碗,水指,花入,陶板などであった。ゆがんだ形,荒削りな高台,1cm以上も盛り上がった白釉薬のボリューム,きわめて大胆なひび割れなどから,「怒るが如き激しい強さ」が作者の求めている主題のように思われた。それでいて,安定感のある姿,淡紅色の釉薬の輝きからは温かみと気品が感じられた。私のように陶芸の価値がわからない者の心をもひきつけて離さないのである。これらの作品から受けた衝撃的な感動で興奮しながら会場を出たが,再び会場にひきかえしたことを記憶している。
志野陶について調べてみると,発生は桃山期のようであり,ややあらい白土で作られた器面に,大きなひびをともなう長石質の白色釉が厚めにかけられ,釉膚に小さな斑点があり,淡紅色の火の色が出ているのが特有の美しさであるといわれている。織部や志野の研究で知られる加藤唐九郎氏の「陶芸口伝」の中にも「志野は野武士的なものじゃから,男性的だ。」と語られているように,強い感じを与えるのも特徴となっている。鬼志野の作品は,志野の伝統的な技法と特有の美しさや風格を保ちながらも,現代に生きる作者が精一杯の抵抗と創造を展開したものと思われる。土と炎の芸術として新しい志野を生み出すためにきびしい努力をされたことに感銘を深くした次第である。
このように伝統から学び,それを乗り越えようとする独創性については,学校教育においても深く考えさせられるものがある。高村象平氏の著書「教育への提言」の中に,「………今の子どもが活躍する場は20世紀ではなくて,21世紀であります。その21世紀はだいぶ変わった世の中になるのではないかと痛感させられます。今までのものをただ踏襲していたのではだめで,常に新しいものを追い求めていく。そしてまたそれを作り出していく。− そういう時代になっていくのではないかと,漠然とですが予想しています。………」,「………どうしても独創的,創造的なものをもたなければなりません。………小学校時代から自由な発想をさせるような教育のあり方がなければ,おいそれと融通がきくものではありません。」と述べられており,独創性,創造性の育成を強調しているように思われる。
現在,学校教育の質的転換を図るため,教育課程の基準の改善が行われ,ゆとりあるしかも充実した学校生活の実現を目指しているところである。毎時の授業の中においても,児童生徒に十分考えるゆとりをもたせることが大切であるといわれている。つまり,ゆとりの中で独創性,創造性を育てることが期待されている。
児童生徒の独創性については,児童生徒の発達の水準において,自分の既有の知識・技術や経験とのかかわりの中から,たとえ稚拙であっても自由に発想し,多面的な見方,考え方をしながら,常に新しいものを生み出そうとする姿を大切に伸ばしてやりたいものである。