福島県教育センター所報ふくしま No.62(S58/1983.08) -001/038page
巻 頭 言
研 修 と 自 己 変 革
次長・兼教科教育部長 加 藤 茂 雄
やきもの「鬼志野」の創陶者として知られる月形那比吉氏が,去る6月福島市において10年ぶり二度めの個展を開催された。会場には茶わん,水指,大壷,陶板のほか,油絵,刻字などが展示されていたが.10年前とは作風を異にし,別人のものとさえ思われた。10年前のときは,長石質の白色釉薬(うわぐすり)を1pほどの厚さにかけ,大胆なひび割れと淡紅色に輝く独得な表現であった。あの迫ってくるような激しさが今回の作品にはどこにも残っていないのである。そして,穴窯の中で幾昼夜も赤松の炎をかぶり,炎の中の鉄分によって焼きついたように緑色化,青磁化しており,釉膚の重厚さと徹妙な変化には不可思議な魅力がある。まるで,炎の化身のように思えた。この極端な変容はどうしたことなのだろうか。月形氏におききしてみると,「炎の極限を求め続けてきた。激しさを通り越すと,静寂が訪れる。…‥‥‥」と経過を説明されていた。
月形氏は,そもそもは古志野から出発した。人間国宝・荒川豊蔵氏が陶芸全集の中で,「白天日茶碗は古志野の窯変である。」「よい志野は天正窯で四日四晩たかなければならない。百時間たかなければ駄目だ。」と述べられているが,この数行の記述から自分の課題を発見したそうである。さらに,禅僧となり,炎との対決においても法衣で身を固め,祈りと創作の一体化に努められたのである。
このように,自分が真剣に取り組める課題を発見し,たえず人間的修養に努めながら自己変革を図られていることは,陶芸と教育の道は異なっても,生き方においては教職と共通するものがある。つまり,教育にたずさわる教師が教師として成長することは.教師の専門性,すなわち職業性と人間性の統合について,研修によって拡大深化されていくことを意味しているからである。
さて,教育は一人ひとりの子どもの望ましい変容を期待して行われるものであり,人間として成長・発達を促すことを究極的なねらいとしている。子どもの望ましい変容を図るためには,教師自身の変容が必要であり,その実現を図るための教員研修が重要なポイントであることは当然であろう。
自己変革は教師個人の努力に負うところが大きい。また.動機も必要である。月形氏が美濃の山中で志野復興の斗いを続けていた荒川豊蔵氏との出合いは,その後の運命を決定づける動機となったようである。自分の進もうとする方向にふさわしい課題を見つけ,自主的・主体的に研修に取り組みながら,自己変革を目指していきたい。