福島県教育センター所報ふくしま No.63(S58/1983.10) -035/042page

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 随   想

人  間  担  任

 教育相談部   坂 本 善 一

 「あれから,もう40年‥‥‥か。」−夏の日のひととき,母校の校庭にたたずむ。目をとじれば,おもいは40年間のタイムトンネルを一気にさかのぼって小学校の分校時代へ。朽ちた丸太の門柱。木羽屋根の校舎−真ん中が職員室,左側が1〜3年,右側が4〜6年の教室。脳裏をめぐる追憶の面々は,しまの着物にもんペ姿。どういうわけかどの顔も皆丸く,汗ばんでいてはち切れそうで,瞳が輝いている。多分,学校が,そして友達遊びが楽しくてしかたがなかった毎日であったからかも知れない。そんな分校時代の心のアルバムをひもといてみよう。
 ○ 分校での3複授業が始まった。小1の私,急におなかが痛みだす。M先生は授業を止めて私を職員室へ。帯を解いて.「このへん?このへん?」と,おへその回りをなでたり押したり…の手当て。「あら?よごしたの?‥」−粗相のパンツを脱がせてくれて,いつのまに用意しておいたのか,事務机の引き出しから真っ白いパンツ。片わらの火鉢で暖め,先生の肩につかませて,さっとはきかえさせてくださった。−パンツをとりかえてもらった恥ずかしさと,パンツの白さと暖かさ。おなかをなでてくださったM先生の,ちょっと冷たい,しかし滑らかな白い指の感触,ふくよかな丸い両肩のぬくみ。そして,心配そうな,あのまなざし・・・。

 ○ 峠の中腹に,馬上の人影がやっと現れた。分校の子供たちは,先はどからこの人影が待ち遠しかった。その人影が私たちを見つけたのか,ピシッとむちをひと振り。朝の露草をけって駆けおりてくる。私たちはワッと迎えに走り出す。馬上の人,それはT先生である。T先生は手綱を引き止めて,侭け寄る私たちの輪の中にとヨイと降り立つ。その背には背負いかご。中にはもぎたての甘柿がいっぱい。先生は「ホウラ,小さい人から…」そう言って一人一人の手のひらに甘柿をのっけてくださった。−あの朝露にぬれた甘柿の色つや,そして青草と汗のにじんだ先生のにおい……。
 ○ 授業始まりの鈴の音−1〜6年生いっしょになっての鬼ごっこの輪が解けて,一斉に教室にとびこむ。上級生の号令でかけ算九九の大合唱−「二二が四‥‥‥九九・八十一。」特に「九九・八十一」は大声でしめくくったものだ。一教室に20余人の3複授業。一方が直接指導のとき,片方は作業など自学できる間接指導。教卓には赤半分,青半分の色鉛筆がいつも5〜6本は置いてあった。そして直接指導に移るとき.間接指導で学習した一人一人のノートに先生は大きな赤丸,そして青ペケ。しかし間違えても認め,ほめ,励ましてくれて青ペケが赤丸に変わるあのうれしさ‥‥。

 ○ おしん(TV劇)同様,子守をしながら授業に出ていた友達も2〜3人はいた。赤ん坊がむずがると,子守はそっと廊下に出て子供をあやした。休み時間には,皆でおしめのとりかえを手伝った。おしめの当て方,すすぎ方など上級生の女の人たちのすばやい手ぎわを尊敬のまなざしで眺めたものである。そして,そのそばにはいつも先生の温顔があった。
 夕暮れ近く,子守の上級生が連れ立って教室から出てくる。授業の遅れを先生がとり戻してくれていたのだ。子守の手には紙包みが握られている。あめ玉の包み−それは先生から子守へのごほうびである。

 ○ 1〜3年,ときには1〜6年生50人余をひとまとめにしての授業,労作。たまには鬼遊び,山遊び。その中で,ひとり学習・協力学習の進め方はもち論のこと,下級生へのいたわりと上級生への服従のあり方,けんかの仲裁。けがや病気の手当て,ふき出ものの治療,果ては散髪から子守のおしめの世話‥‥まで。子供と共に,汗し涙してお教えくださった分校時代の先生方は,単なる学級担任ではなくまさにしく”人間担任”であったように思われる。


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