福島県教育センター所報ふくしま No.64(S58/1983.12) -001/042page
巻頭言
教育研究上の「仮説」
科学技術教育部長 大 越 勝 忠 「わかりやすい授業」について議論されてひさしい。児童生徒の能力,関心が多様化している現在,指導方法についての研究は必要不可欠のものだろう。研究の手法としては,課題について解決をはかるべく,具体策を模索してある仮説をたて,その対策をもとに授業を実践し,指導の効果を検証するというやり方が多い。そこでは,課題は何で.何に起因するか,原因を追求したうえで,解決の策を考え,「〜すれば,〜 できる (だろう)」という見通しのもとに仮説が設定されて研究がはじまる。
しかし,最近の教育誌,レポートにみられる教育研究の仮説は,きめこまかく設定されていて課題解決に適切すぎるぐらいよくできているように思う。実際は単一の仮説設定で事がすむというものではなく,また,課題の一部の解決をはかる仮説でしかなくて,変更を余儀なくされる例もあるのではないだろうか。仮説どおり検証されたということで安易に事をすませてよいものかどうか。日常の授業の中で指導の効果をみつけだそうとする教育研究には,もっと慎重な研究構想をもとにきびしい仮説設定が必要ではないかと思う。
さて,マントル対流を土台にしてハワイ諸島が,年間数cmずつ日本列島の方向に近づいてきていることを,テレビがわかりやすく説明していた。これは今世紀はじめ,ドイツのウェゲナーが大西洋をはさんで両側の海岸線が,凹凸相補的に似ていることに着目し,昔一つの陸地であったものが割れてひらいたことになるという大胆かつ壮大な考えをもとに大陸移動説を提出したことにはじまる。大西洋をはさむ両側の大陸の生成は,大陸移動以外に考えることは できない という仮説にもとづいている。当時,仮説の検証は不可能のまま現在にいたり地殻内の温度測定によってマントル内に対流があることや,古地磁気の測定などから大陸移動を推論する上で検証がやっと進んでいる段階である。
しかし,まだこの説が真であるということではない。科学上の説は大体そんなもので,福岡教育大の進藤教授は科学上の仮説は「〜 できない 」仮説であるのに対して,ブルーナー以来教育研究上の仮説は「〜 できる 」仮説が多いと指摘している。たしかに「〜 できない 」仮説は一度設定して「〜 できる 」事実が一例でも判明すれば仮説は棄却されるきびしさをもっている。棄却されないとしても「〜 できる 」事実がいつ提出されて,仮説が棄却されるかもしれないことから真であることの検証は不可能だということになる。これに対して「〜 できる 」仮説ではその事例が一つでも実現されれば検証ができたことになり,検証できないとしても誰かが検証する可能性は残っているので反証がでて仮説が棄却されるわけではない。教育研究法上の「〜 できる 」仮説は明らかに誤りであるといわれる心配はない。多くの教育学者が「〜 できる 」仮説をさかんにとりいれているのはこんな理由からだろうか。
病気に対して医薬の有効性は実験動物を使って,何回となくきびしいスクリーニングをへてから実用に供されるが,教育の面で学習指導法の有効性は,はじめから直接児童生徒をとおして確かめる以外に手はない。真に学習指導に効果をもたらすものは何か,構想をねって研究をすすめるべきだろう。教育研究の仮説に,科学上の仮説をとりいれろというのではないが,安易な仮説の設定から急いで結論を出すことを慎しむ意味で,科学上の仮説のもつきびしさをとり入れて考える必要はないだろうか。