福島県教育センター所報ふくしま No.65(S59/1984.2) -001/042page

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巻頭言

教育相談部長 折 笠 仙 衛氏

教育相談活動の出発点

教育相談部長  折 笠 仙 衛

 ここ1年間,教育相談のために当教育センターを訪れた子供たちを通して教育現場をみつめるとき各学校では,学校教育相談活動を重視し子供たちの性格・行動の変化やさまざまな問題に対し,いろいろな指導・治療が真剣に試みられていることがうかがわれ,教育相談を担当する者として敬服する次第である。

 教育相談は,問題行動の診断・治療という立場に立つこともできるが,本来的にはすべての子供を対象にして,その心身の適応をはかり,一人一人の順調な発達を援助するものなのである。

 最近,多くの熱心な教師が教育相談活動の重要性を認識し,教育相談についての理論・方法・技術などを求めて,教育相談部を訪ねて来られる数もたしかに増えてきている。また,組織的な地区別研修会や校内研修会なども開かれ,積極的な参加がみられることは相談的な教師へ向けての意欲のあらわれと心強い限りである。

 しかし,教育相談においては,理論・方法・技術の研修に傾斜することに,ぬぐい去ることのできない危惧の念をいだいている。そこには,研修以前に,「教育を担う教師本来の姿−人間性−」にかかわる問題が大きく横たわっていることに気づくからである。

 たとえば,昨春,新しく採用され,希望に胸をふくらませて教育現場に立った大方の教師は,この1年間,いかに教科内容を教えるかということで1時間,1時間の授業内容やその展開の仕方に,全精力を注いできたであろうが,自分が子供たちからどのように見られているかということや,自分の言動が良きにつけ,悪しきにつけ,子供たちに大きな影響を及ぼしてきていることをどの程度認識しかつ,それに配慮してきたであろうか,ということである。このことは,経験の多い教師にもあてはまるように思えるのである。

 わたしたち教師は,目の前の子供の姿をどうとらえればよいのだろうか。子供たちは,教師のことばや行動を模倣や観察の対象としており,また,その中で場合によっては教師を批判的な目で見ながら自分の将来の願望を夢み,成長するのではないだろうか。学校や学級という環境の中で,教師は,日常的・教育的触れ合いを通して人格の形成に大きく影響しているのである。

 このように,子供の側に立って考えるとき,教師は常日ごろの安易な気持ちでかかわるのではなく日々の教育活動の中ではいつも子供の存在を意識し,人生のモデルとしての教師の言動が望まれるのである。勿論,教師も人間であり,人間としての生きざまを赤裸々におしだし,子供と体当たりしてのかかわりをもつことは子供に感銘を与えることにもなる。しかし,相手が子供であり,発達過程の中で人間的成長をしているということを忘れてはならないと思うのである。

 さいわい,教育相談に関する講座を受けられた先生方が,当教育センターを後にするときのまなざしや反省記録を拝見する限り,わたしの心にのこる危惧の念は消されてしまうのである。要するに,教育相談の手法を学びとられても,それはあくまでも手段であり,重要なのは教師の人間性のあり方にあると思う。子供たちの人格形成に強い影響力を及ぼすのは教師であるという認識に立つことが,教育相談活動の出発点になるのではないだろうか。


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