福島県教育センター所報ふくしま No.66(S59/1984.6) -001/038page

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巻頭言

所 長 舟 山   昇氏

相 談 的 な 教 師

所 長 舟 山   昇

 朝,新聞を広げると必ずといってよい程,目に入るのが子供の問題を報じた記事である。子供が加害者である場合,被害者である場合などいろいろあるが,いつも感じることは,もっと早く,だれかに相談をして良い解決方法が見いだせなかったのかということである。問題を持つ子供の家族がいかに話し合ってみても仲々良い考えが出てこないことが多いので,やはり視点を変えて子供を見直す必要があると思う。複雑な世相の中で,不安定な時期を過ごす子供たちは,いつでも何かの問題を起こす可能性を持っており,また子供を持つ親もその危険にいつも直面しているといえる。従って身近にいつでも相談に乗ってくれる信頼できる人がいることは,大変有難いことであり,その役割を果たせるのが教育の専門家としての教師であろう。

 ところで,当教育センターでは,昭和46年度から教育相談事業をはじめているが,当時は年間93件程度の相談であったものが,昨年は1,712件と約18倍にもなっている。この傾向は今後も続くと思うがこのような傾向に歯止めをかけるためには,すべての教師が「相談的な教師」になる必要がある。 勿論,その中核には教育相談について深い専門的知識を身につけた専門家がいなければならないことはいうまでもない。そのために当教育センターでは,専門講座としての教育相談講座を実施し,最終的には学校カウンセラー養成講座をもって一応終了し,より専門性の高い相談のできる教師をできるだけ多く育てるべく努力している。

 その一方,すべての講座の第一目の午後を「生徒指導−相談的な教師」の研修にあて,受講される多くの先生方に,相談的な教師としての日ごろの生徒指導を進めていただくよう配慮している。昨年その先生方に実施したアンケート調査によると,相談的な教師というのは,“子供を共感的に理解できる教師”が第一位で68%であった。これはなかなか大変なことで,日ごろそのための努力を怠ってはならない。更に複雑な問題の解決にあたっては,専門的な相談教師や他の相談機関との連携も必要である。

 先ごろ,「相談的な教師」の講座を受講された先生から,自分の担任する生徒が登校拒否をはじめ色々と努力してみたがどんどん後退し,今は自分の部屋に閉じこもって家庭訪問しても全く出てこない。もうどうしようもない。何か良い方法は無いものかという電話が相談担当所員のところにあった。時には,先生が熱意を示せば示す程,問題がより深刻になることがある。このような時は,やはり専門家の意見を求めるのは良い方法である。そこで担当所員は,「毎日家庭訪問を続けてください。でも決して無理に会おうとしたり,部屋に入ったりせず,大声で短かく優しいことばかけをしてください。それを続けるうち,きっと良い方向へ行きます。」と答えたそうである。それから1か月程してその先生から「はじめは何のことやらわからず,いわれる通りにしていたが,だんだんに生徒が部屋の中にいる時の気持ちがわかるようになってきた。」「それから,しばらくして生徒がひょっこり顔を出した。」「このごろでは,先生が訪問するのを待っていてくれるようになった。」「毎日,生徒と話をしているうちに学校を休みたくなった気持ちが良くわかり,自分でもあんな時学校を休むでしょう。」という電話があった。これが共感的理解なのであろうが,担任の先生もよく辛抱強く努力なさったものだと感服している。

 すべての教師が,子供の心がわかるということが,教育の出発点であるとの認識に立って,すべての子供の相談にいつでも応じられるよう,今後とも一層,研修に励み,真に生命ある教育の実践に努めてはしい,と念願する次第である。


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