福島県教育センター所報ふくしま No.67(S59/1984.8) -028/038page
<随 想>
オリンピック大会に思う
−ロスアンゼルス・オリンピック大会を前に−
教科教育部 石 田 威
オリンピック大会は,参加することに意義がある。4年に一度開催されるこの大会は,古代ギリシャと盛衰を共にした古代オリンピック大会を,ピエール・ド・クーペルタンが,近代オリンピック大会として復興させたものである。
古代オリンピック大会は,エリスの王イヒトスとスバルタの王リクルゴスが4年に1回の競技期間に平和休戦を行うという政治工作が実を結び,前776年に第1回大会が開催され,394年の第293回大会をもって輝やかしい歴史に終止符を打つのである。
年月の経ること久しくして,「信念の教育者」クーペルタンは,オリンピック大会復興の「夢」を実現させるために国際体育会議を開催した(1894年)。会議は,「オリンピアの問題」と「アマチュアの問題」を審議し,「古代における偉大な国際競技の復興は,直ちに実施すべきである。」という出席者の一致した意見に基づき,第1回大会は,1896年ゆかりの地アテネにおいて開催することを決定した。ここに近代オリンピック大会が復興するにいたったのである。
古代オリンピック大会が,二人の王の工作により実施されたのに対して,近代オリンピック大会が,世界の主要国競技団体の会議により復興したことは,時代の差違だけではなしに,クーペルタンの古代オリンピックに対する深奥な理解とスポーツに対する教育的信念が新たな時代を創造したものといえよう。
近代オリンピック大会は,第1回のアテネ大会にはじまり,今年は,第23回を数える(6,12,13,回は中止)。
第23回オリンピック大会は,ロスアンゼルスにおいて,開催される。情報化社会の時代を反映して この大会に関する情報も多量に流される。大会参加国が決定されるころの情報は,開催国がらみの政治的事情による参加国の問題がメインであり,古代オリンピックの歴史や前回のモスクワ大会がらみの視点からみると,民族や国家の本性がみえて感慨深いものであった。
最近の情報は,参加選手やチームの紹介・活躍の予想などに関するものがメインである。これらの中で私が特に関心を抱くものは,二人の女子高等学校生徒である。一人は,阿部和香子選手(福島県;若松第一高等学校−自転車競技・ロードレース−)。他の一人は,長崎宏子選手(秋田県;秋田北高等学校−水泳競技・平泳ぎ−)である。
阿部選手は,ロスアンゼルス大会から加えられた女子自転車ロードレースに,唯一人の日本代表の座を獲得しての出場である。本県の自転車競技界は,競技団体や関係者の努力により早い時期から自転車王国を築き,国の内外を問わず多くの大会において優れた実績を残し,秀でた競技者を輩出している。そして今,唯一人の日本代表を育てあげたことは本県の自転車競技が国際的レベルにあることをあらためて示したものである。
長崎選手は,東北地方が生んだ初のオリンピック・スイマーである。東北の泳者は,国内の大会でさえ他地方の泳者の後塵に甘んじなければならないことが多く,東北地方からオリンピック代表が出るのはいつの日かと待ち望んでいたこともあって,うれしいかぎりである。
二つのうれしい情報を得ながら,彼女たちの優れた能力や指導者に恵まれたこともあるが,幸運な「時との出逢い」を強く感ずるのである。
モスクワ大会が,国家間の政争の材料となり,そして,ロスアンゼルス大会も同じような色合いを帯びたようである。この二度のオリンピアードを通して「時との出逢い」の不運に泣いたスポーツマンは多数いる。二人の乙女が,青春をかけてトレーニングを積んできたことを思うとき,オリンピック大会は,参加することに意義があるという言葉が,クーペルタンの偉業と共に実感としてつたわってくる。
選手の活躍の様子は,今回もまた華々しく報道されようが,二人の乙女の参加が,私のロスアンゼルスオリンピック大会そのものである。