福島県教育センター所報ふくしま No.68(S59/1984.10) -001/038page

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巻 頭 言

経営研究部長 菅野家作氏

間違いの中からの成長

経営研究部長  菅 野 家 作

 つい最近,列車での通勤のかたわら,何か肩の凝らない読み物をと思って読んでいた文庫本の中で,組織工学研究所所長の糸川英夫氏が,子供の学習上の間違いと消しゴムの使用のことについて触れられ,「小学校の時から消しゴムを使わせない方がいいと思う。」と述べられていた。早速私は,我が意を得たりとばかりに,この部分に傍線を引いた。なぜなら私は,確固たる理論的根拠があったわけではないが,今日まで,子供たちへの指導において,「間違ったところを消しゴムで消さないようにすること」を原則としてきたからである。特に私は,このことを日常のノート指導の過程や,テストの事後指導において強調してきたものである。

 時たま,今の子供たちは消しゴムをすぐになくしてしまうとか,子供の筆箱の中には消しゴムが二つも三つも入っているなどと言われるのを耳にすることがあるが,確かに子供たちは消しゴムをよく使い,速く消すことができるようである。また,その性能も良くなってきていると思われる。もちろん私たち教師は,教育指導という子供たちとの生活のかかわり合いの中で,消しゴムの使い方についても指導しなくてはならない時もあるだろうし,また実際に,それを使用することを認めなければならない場合もあるであろう。しかし少なくとも,計算とか文章表現とかテストの後とかの場合,間違ったところや間違った答えを,安易にすぐ消しゴムで消してしまって,正しい答えだけに書き換えてしまうということを,そのまま見逃しておいてよいものだろうか。

 子供たちが苦労したあげくに,せっかく書いて間違ったその考え方や答え方を,教師も子供たち自身も,もっと大切に取り扱うようにすることが極めて重要なことである。そのためには,教師は,子供たちに対して,自分が間違ったところをすぐに消してしまうのではなくて,そこに大きな×印を付けるとか,二本線を引くとかして,加筆訂正をするように意図的に指導をしていかなければなるまい。

 このような指導により,子供たちは,同じような間違いを再び繰り返さないようになるばかりではなくて,自分の行為を冷静に見つめる目や素直に反省する謙虚な心,そして更によいものに改めようとする意欲や意志を育て,自ら学ぶ力を身に付けるとともに仲間をも高めることができるようになって行くものと考えられるのである。一方,教師は,子供たちの学習の結果としての間違いを指摘したり正しさを認めたりすることだけに気を取られるのではなく,子供たちの間違った表現や解答に至るまでのその過程を重視し,その間違いの中にこそ子供たちの生きる真実の姿が含まれていることを深く理解することによって,子供たちをして正しい生き方を絶えず探求し続ける人間に育てあげて行くことができるものと思われるのである。

 確かに人の一生に消しゴムはなく,一度間違いをしたことを簡単に消し去ることはできないものである。であるならば,小学校の時から消しゴムを使わせない方がよいというのも一理あることなのである。事実そのような指導をしておられる教師もおれば学校もあるし,これに関する比較実験研究がなされているとも聞いている。小さい時に自分の間違いをいろいろと消しゴムで消してしまう習慣を身に付けてしまうと,一生,すべて自分の都合の悪いできごとは消してしまおうと思うようになるのかも知れない。また実際に,子供にとっては,間違ったことがいつまでも残っていることは非常に苦痛なことであるかも知れない。しかし,自分の思ったことと,本当のこととが違うという苦しみに耐えることができるのも,成長の過程では重要なことである。私たち教師は今,子供たちに,自分の人生に対する理想と現実の食い違いに対して,この苦しみと対決し耐えて行くことのできる姿勢と力を育て,間違いの中から自らを成長させて行くことができるように導かねばならないと思うのである。


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