福島県教育センター所報ふくしま No.70(S60/1985.2) -036/042page
<随想>
人間担任(その3)
K先生の後悔
教育相談部 坂本善一
K先生,小職は共に教職歴30年。この秋,県教委より永年勤続の表彰を賜った。晩秋の宵,表彰記念の銀盃で一献かたむけながら,30年の来し方を懐かしんだ。酔うほどに,K先生,「どうしても悔やまれてならないことが,頭から消えない……。」という。
最近U子が結婚した−もう30歳をいくつか超えて,やっとのゴールインだ。このことを伝え聞いてK先生は,ホッと胸のつかえが取れた。
−ここ数年来,ゆきずりにU子と会うたびに,K先生は,「どうだい,いいお婿さん見つかったかい?」と声をかける。だが,U子は寂しい笑顔を残し,逃れるようにして立ち去ってしまうのである。もしや,あのことのために婚期が遅れているのではあるまいか−K先生は「あのときの,あのかかわり方が間違っていた…」と,悔やんでいるのである。
K先生は,U子が小学5年生のときの担任であった。経験の浅いK先生は,若さと情熱で,まさに体当たりで子供の教育に取り組んでいた。そのころU子はぜん息のため,体育や遊びが皆と一緒にできなかった。U子は,先生が友達を抱くようにして鉄棒運動の補助をしたり,校庭で友達とたわむれる姿をいつも寂しく眺めていたという。
そんなある日の午後,運動会の練習の時間,U子は教室の留守番役になった。練習も済み,終わりの会も済んで子供たちは下校した。ホッと一息ついたK先生は,自分の鞄を開けて,ドキッとした。昼前月給袋を確かにその鞄にほうり込んでおいたはず。それが見当たらないのだ。「まさか…まさかあの子が…」と,一瞬疑ったが,「とんでもない…あの子がそんなことを…」と,先生は心のたけりを抑えた。一時して,「なあに,あれは無かったものと思えば…」と,K先生は一切他言しないことにした。
次の日,さすがにK先生の表情はさえなかったのか,「どうしたの?先生」と,子供たちが心を痛めて先生にまつわりついた。つい,K先生は,「実は,先生,お金をなくしてしまった…。」と,浅はかにも告白してしまった。さあ大変,子供たちは,「皆で探そう。」「募金しよう。」「探偵団を作って犯人を捕えよう。」などと大騒ぎ。K先生は,下校時子供たちに「きっとだれかが見つけ,届けてくれると信じている」と話し,そして,「絶対に他言無用,お金探しもしないこと。」を,子供たちと約束した。
それから1週間ほどして,クラスの3〜4人の日記から,「U子が何千円ものお金を持っていて,色々な物を買っている。それをもらった人もいる。」との内密の声が寄せられた。K先生は,ためらいながらも,ひそかに,いたわりの心を込めて,日記を通してU子に語りかけた−「だれにも間違いはある。その間違いに気づき,それを正すことができる人は『より強く,正しい心』の持ち主になれる。」ということを。
次の日のU子の日記に,”過ち”が告白された−いつになく乱暴な走り書きで,「ごめんなさい…私,友達がほしかった…先生とも思いっきり遊びたかった…。」と。「子供がその人のお金を盗むことは,その人の愛情を盗むことなのだ」ということを聞いていたK先生は,日記の中で,U子の勇気をほめ,罪を諭すとともに,U子をクラスの中で孤独にし,寂しい思いをさせていた,担任としての愛情欠損の大罪を,U子の前にひれ伏す思いでわびた。
残念なことに,U子のうわさは,級友にはもちろん,校内にも広まってしまった。U子の父からは,現金に添えて,恨みがましいわび状がK先生あてに届けられた。やがて,しだいにU子の表情にかげりが見え,笑顔が消えていった。
K先生は,なんとかしてU子の笑顔を取り戻そうと心を砕いた。が,しかし,U子の笑顔はついに戻らないまま,K先生はU子の担任を終えてしまったのである。
−そのU子が結婚したことをそく聞して,K先生はホッとしたのである。が,しかし,「あのことは,U子と二人だけで解決すべきであった…。」と,深い悔恨の情に胸を痛めているのである。
子供への愛情欠損の大罪を,子供の前にひれ伏す思いでわびたというK先生。20数年を経て今もなお“子供への過ち”に心を痛め,銀盃に悔いの涙を落とすK先生。私はK先生の,この謙虚さと子供への愛に,人間担任の姿を見る思いがするのである。