福島県教育センター所報ふくしま No.72(S60/1985.8) -001/038page

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巻 頭 言

県教育センター次長 須永 英次氏

自己教育力を育てる
 −実践の足もとから−

県教育センター次長  須 永 英 次

 「わあ,松の木の皮はせんべいだぞ。はら,パリパリって1枚ずつはがれるんだから。」「3人で手をつないだって,すき間ができるくらい太いわ。」「あらっ,皮と皮の深いところにアリがいる。」「わっ,死んだセミがくっついているよ。」・・・夏休み終わるのを待ち兼ねて図工の授業を行ったときの子供たちの歓声でした。子供たちが新しい発見や驚きを夢中で画用紙の上に表現している姿を見て,1本の老松を自分の手で撫で,その膚触りから風雪に耐えてきた幾星霜を思いやる暖かい心情を育てたいという本時への期待をこめていた私は,喜びにかられました。
 『よい絵を描かせようとして急いではならない。手を使って考える子供,自分の目で発見することのできる子供,自分の心で豊かに感ずることのできる子供を育てるところに図工の授業の使命があり,また,児童の授業への意欲と関心を高める原動力は「主体的な見せ方」にある。』と,7月23日からの教育センターの図工講座を受講した折,宮本朝子先生(東京都洗足池小学校教諭・モダンアート協会会員)よりうけたこの指導が,これまでの私の図工科に対する指導観を変えてくれたように思われます。
     (所報70号 郡山市立永盛小学校 鈴木智恵子先生手記より)

 研修の先生方と一緒に受講した宮本先生の講義の中には,現在,教育界の関心事であり,課題とさ.れている自己教育力ということばは一つもなかったが,私には,講義内容そのものが図工科における自己教育力育成への問いかけのように思われた。そして,鈴木先生の授業こそ,児童一人一人に自己教育力を育てる尊い実践であるように思えてならない。
 昭和58年11月15日に第13期中央教育審議会「教育内容等小委員会審議経過報告」が公にされて以来自己教育力育成の動きがこのように短期間のうちに広まりをみせたのは何故だろうか。報告書の中では,「自己教育力とは,主体的に学ぶ意志・態度・能力などをいう。」としながら,その育成は,「学習への意欲」,「学習の仕方の習得」,そして「人間としての生き方の理解」にあると述べている。
 このように考えると,自己教育力育成の動きは,別に急に出てきた主張ではなく,報告書の冒頭にあるように,時代の変化に対応する学校教育の在り方について,今こそ見直す必要があるという考えを背景として,論議が高まりをみせてきたように思われる。むしろ,教育現場にある我々にとって大切なのは,このような機会に,「児童生徒の主体的に学ぶ意志・態度・能力」を育てるために,一時間一時間の授業の中で,また,日々の教育活動の一つ一つにどう取り組んできたかを反省してみることにあると思うのである。「・・・自己教育力の育成を図るには,制度がどうなっているか,行政側の考えはどうなのだろうか,書物にはどう書かれているだろうかといった他者指向的経営からでなく,目の前の子供に何が必要なのか,この子らの21世紀の社会に何を期待するのか,そのために今我々は何をしなければならないか,といった足もとから出発した経営が求められる。・・・」(註)と指摘されるように,日々の実践に対する自己への問いかけこそ,自己教育力育成の課題を単なる“御題目”にしないために,今教師一人一人に求められることであろうと考えるのである。
 宮本先生の指導にみられるように,教科・教材の本質をみきわめ,児童生徒自らが自分のめあてをもち,自分で学習の方法を選択して,生き生きと主体的に活動し続ける学習が展開されるような在り方,手だてを研究する教師の姿勢にこそ,自己教育力を育成する基本があるように思う。
     註(河野重男編「自己教育力育成の手引」)


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