福島県教育センター所報ふくしま No.74(S60/1985.12) -001/038page
巻 頭 言
カウンセリング・マインド
教育相談部長 坂本 守正
昭和59年度の当教育センターにおける相談件数は1,769件であった。今年度もすでに1271件(昭和60年10月末現在)を数え,前年度同月比118件の増である。また,学校現場から「学校カウンセラー講座」(今年度から,「教育相談講座」,「学校カウンセラー養成講座」を,「学校カウンセラー講座と名称を改め,初級,中級,上級の区別をつけた)への受講希望も年々増えている。教育相談,すなわちカウンセリングの必要性とそれを学ぶことへの関心がかつてなく高まっているようである。
カウンセリングとは,様々な理論があるが,「言語及び非言語的コミュニケーションを通して,相手の変容を試みる人間関係」(国分康孝)ととらえたい。人間関係とは複数の人間同士の感情交流のことである。いいかえれば,教師と子どもが心の琴線でふれあう体験をもつということであろう。このとき,教師が教育の主体者としてもつ人間的な心の動きとその行動表現をカウンセリング・マインドという。これはまた,鬼手仏心,あるいは簡単に親心とも表現できよう。
ところで,児童生徒の問題行動の要因の一つは,「地位の逆転」であると指摘する人がいる。教育の主体は,学校では教師,家庭では親であり,子どもは教育の客体である。教育は主体から客体への方向をもち,主体の意思やリーダーシップによって,客体が自発的能動的に学ぶことによって成立する。しかしながら,社会の歴史的変動,人口構造の変化,家庭教育の変貌,父母の役割交代,学校における父性原理の後退などによって,地位の逆転現象が生じ,「子ども天国」といえる状態が生み出されてきた。その結果,子どもから感謝の気持ち,自省心,自律心,自制力,耐性などが失われ,このひ弱な子どもが問題行動に走るというのである。
確かに学校は,教育を必要とする子どもの,知性を練磨し,愛豊かに生きるための精神形成,他人の心の痛みがわかる感受性のかん養,そして力強く生きるための体力の養成を図る場である。それには教師が子どもに信頼され,尊敬の念を抱かれるということが前提である。信頼や尊敬という感情は,甘やかしの師弟関係,畏敬のない人間的かかわりからは生まれてこないようである。ここに必要なのが父性原理である。(暴力的言動,体罰などは論外である。)
父親とは,安全を保証する保護者,誠実と責任感の徳,勇気と決断力,処罰や禁止を象徴する現実原則の具現者,権威あるいは厳格さの象徴,そして集団の統制者である。そして忘れてならないのは「のちのためにある」存在であることである。今,学校に必要なことは,勇気をもってこの父親像一−一つのカウンセリング・マインド−を復権させることではあるまいか。いくつか例をあげよう。
A教諭,ある学級,「起立」,「礼」,よそ見大勢。起立,礼の意味を懇切に説き,毅然とした態度で繰り直しを命じた。自分もまた両脚できちんと立っている。授業が活力に溢れている。
B教諭,夏の暑い日の放課後,職員室でワイシャツのボタンをはずしていた。「先生」という生徒の声。「ちょっと待って」といい,ワイシャツのボタンをかけてから立ち上がり,話をきいた。
C教諭,D児がE児をいじめた。C教諭は腰をかがめ,D児を凝視しながら大きな声で,「もう一度やってみよ」と一喝した。C教諭の覇気が以後いじめを追放した。
問題行動への対処のためにではなく,教師としての資質を高めるために,すべての教師がカウンセリングを学ぶべきであると思う。これによって子どもたちは豊かなカウンセリング・マインドを享受できるのである。