福島県教育センター所報ふくしま No.76(S61/1986.6) -001/038page

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折笠常弘所長

待    つ

所 長  折 笠 常 弘


 先日、マイカーで出勤の途中のことであった。市内の大きな交差点に入った途端、信号が青から黄色に変わってしまった。早く出なければと焦ったが、悪いことに前方が渋滞していたため、交差点内であと数m残して赤となり停止する羽目になった。左方から三車線の車が一斉に発進し警笛を鳴らし迫ってくる。しまった!と思ったが後の祭り、非難と蔑視の警笛の中で、どうしようもなく恥入りながら、じっと耐えていた。間もなく前車が動き出してホッとしたが、なにも急いで横断しなくても、次の信号も連動して赤になるのだから、少し“待つ”べきであったのである。他車につられ自律心を失っていた自分を悔みながら、待つことの大切さを思い知ったのである。

 若い時、私は先輩教師に『君の授業には“間”がないね』と言われハッとしたことがある。あれもこれも教えようと、喋りまくり、書き連ね息つく間もないような授業だった。先輩の授業を見せてもらうと、先生の説明は始めと中と終りの数分だけ、それなのに生徒は自主的に動き、教室に緊張感がみなぎり、時どき説明する先生の声を、生徒は食い入るように聞いていた。“間”のなかで生徒の心が活動し、そこで生徒の主体性が働いていることを知ったのである。
 “間”は相手の動きを大事にして“待つ”時である。教師や親も子供の動きに手も口も出さず、じっと見つめる時が必要である。『こどもの主体性、個性を引出し……』と良く口にするが、それには、先ず“待つ”心を持たなくてはならないと思う。

 子供達にとっても幼児から少年時代にかけての、待つ、耐える等の体験は精神形成上、大切な意味を持っている。しかし今日、物の豊かさの中では飢餓、寒暑、貧乏などの逆境的体験はなかなかできなくなった。臨教審の審議経過報告書では『逆境によって育くまれた自立心、自己抑制力、忍耐力、責任感、思いやりの心、畏敬する心……が衰弱し……心の貧困をもたらした。』と述べている。
 たしかに我が国の貧困時代においては物質的逆境が教育的作用をなした。飢寒乏に耐えた子供達は“きかん坊”になり、たくましさとともに、その辛さを知るが故に思いやりも体得して成長し、貧しかった日本を、耐えながら物質的に豊かな国にした。しかし今人びとは物質的逆境の代わりに巨大社会と高度文明の圧力、さらには冷たい人間関係などによる、心の飢寒乏という逆境に立たされているのである。子供達の中には、夢や希望を持てず無気力になる者、自分の心を調整できない者が増えてきた。たしかに大人達は、辛い時代に耐え豊かさを築いてきたが、子供達はその豊かさや優しさの中で悩んでいる。もし、豊かさや優しさが厳しい体験から作られるのであれぱ、子供達のためにも、待つ、耐えるなどの厳しさを体験させ“心の強さ”を育てなけれぱなるまい。

 これからの社会では誰もが“待つ”態度や“耐える”カさらに、豊かさを“創る”意志など、自律的な精神カが一層求められるだろう。特に子供達には、これからの社会の様々な変化に主体的に適応し、困難を乗り切る弾力性と、たくましい心と行動力を持たせること、即ち“生きるカを育てる”という教育の原点に立って、子供達を指導することが、これからの教師の仕事であると思うのである。
 私も日常の中で文明の波に溺れず“待つ”ことを実践し、ゆとりを持って自律的に、主体的な人生運転をしたいものと思うのである。(1986.5)


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