福島県教育センター所報ふくしま No.85(S63/1988.2) -001/038page
<巻頭言>
いま、あらためて「よくわかるたのしい授業」を考えてみよう
科学技術教育部長 佐久間 房 次
どうして君はやらないのかね?「どうせ出来ないもん!、おれは馬鹿だもの!」それでは後で困るよ?「べつに困らないもん!」これは、私が以前勤務していた高等学校における、授業の中での生徒とのやりとりである。これらの生徒をみると、小学校からの授業の中で取り残され、わかる喜びやできる喜びの経験も少なく、他から認められ、誉められることもなく年を重ねてきたように思えるのだがどうであろうか。小学校3・4年頃から生ずると言われる学業遅進の児童・生徒は、学年進行と共にこれが進み、高等学校に至って、この様な、無気力、無関心、無感動など、自己の将来に目を向けることのできない生徒となることもあるといわれている。
これらの学習意欲に乏しく、学力の停滞している生徒は、性格にまで歪みが見られることがあり、生徒の学力と人格の発達の歪みは相関し、その総体が構造的に歪んでいると捉えられ、この問題は、今次、教育改革が叫ばれる中で、学校教育における大きな課題であると言われている。ここで、児童・生徒にとって魅力ある学校とはどのようなものか。私の以前の調査によると、学校での一番の関心事は授業がわかりたいことと、友達との語らいであった。いまさらいうまでもないが一日の大半を占める授業がわかり、充実することが児童・生徒の本来の願いである。どの教科でも、「わかればおもしろい」「できれば楽しい」のが児童・生徒の本性である。学習意欲を向上させるには、子供の心の底にある、「わかりたい」意欲をしっかりと捉え、児童・生徒の中に潜在する能力を引き出すことにある。児童・生徒が学校は楽しいところであると思って、初めて魅力あるものになり、教えられることが全部他人ごとであり、自分に関係ないと考えているうちはどうすることもできない。では、こうした問題点を解決するにはどうしたらよいか、各校でも努力はしてきたが、いまあらためて授業の質的充実について考えてみよう。
第一には、授業における教師の姿勢と指導技術にある。児童・生徒に実現可能な課題を工夫し、自分で考えさせ、わかったと言う実感を持たせ、自己の存在を認識させることにある。第二は先生と生徒の、また、生徒同志のインターアクションにおけるアタッチメント(愛情あるかかわり)による、好ましい人間関係の醸成にある。第三には、評価の問題がある。従来の評価は、学んだ知識や技術、学習到達度として、個々の持つ能力を決定づけてしまうような考えが強かった。しかし、生徒に学習意欲を喚起させることや、生涯学習体系への移行を考えるとき、学習可能性としての学力観に指導の力点をおく考え方が特に大切であると思われる。人間は、それぞれの個性を持ちながら伸び続けるものであり、これを前提として、教育は成立するものである。従って、評価は指導過程において、一人一人が伸びるためのポイントとして位置づけられ、問題解決に努力する意欲をつくり出すことにある。この様に、評価は指導に直結するものであり、子供の心情を大切にするものでなくてはならない。そして、現状を直視するとき、熱心な教材研究による授業への情熱と自らの人間性を高めたいと願い、常に努力する教師の姿があってこそ、児童・生徒の心を動かすことが出来るのではないかと考えるのである。