福島県教育センター所報ふくしま No.97(H02/1990.11) -025/038page

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思い出

「月輪閑談」

佐藤信久

元所長(昭53〜56)

佐藤 信久

 在任中、10年の歩みを刊行し、諸先輩の残された偉業に敬意を捧げ、所員の真撃なとりくみに感謝の意を表してから早くも10年、時の流れの早さに驚かされている。

 私の着任した時は、研修部門と研究部門が並立されていた従前の組織から両者の一体化を目ざして機構改革があった年である。各都道府県においても両部門の一体化と研修事業の体系化に向かって模索を始めた頃であった。研修事業は研究の裏付があってこそ充実されるという、いわば当然の姿になったわけである。研修事業の体系化を含めて本県のとりくみ方が各都道府県の注目を浴び、全国の所長協や全教連でも発表させられたり、協議題の話題となったことを思い出す。所長協でも在任中の三年間は第二部会(研究部門)のまとめ役を仰せつかり、「教育研究機関における研究のあり方一特に研究の質的充実と研究成果の活用ー」をテーマとして協議を続けたのもなつかしい思い出の一つである。

 体育館の竣工、コンピュータの更新等懸案事項の実現に全所員で喜びをともに分かち合ったことや現職半ばにして亡くなられた古関順世部長、佐藤勝昭事務長、鎌田昭治指導主事の三人の方々の悲しみなども忘れられない思い出である。


思い出

舟山昇

元所長(昭57〜59)

舟山 昇

 「人はだれでも、与えられた職場に行けば、必ずそこには為すべき仕事がある」といわれて昭和57年4月教育センターに赴任した。仕事のあらましは心得ていたつもりだったが、学ぶ事が多かった。

 まず、感心した事は、義務系・高校系の先生方が、目的に向って互いに助け合い、協力している姿だった。福.島県教育の進展には、この協力態勢が不可欠のものと痛感したものである。会議でも、カンカンガクガク意見をたたかわすが、一旦方向が決まると、実現のために一致協力するという誠に理想的な職場であった。このような例は他にも多く見られた。昭和58年、恒例の庁内ソフトボール大会において、選手も応援も一致協力して、前人未踏の四連覇を成し遂げて、全所員勝利の美酒に酔ったことは、忘れられない思い出である。

 また、私の在任中、宿泊棟炊事室を明るく、清潔、かつ作業能率の向上を考えて、改装工事を行った。当時としては最善の仕事であったと自負している。竣工後、神官の資格をもつ所員によって、修祓め儀をとり行ったことも、いい思い出になっている。

 人柄がよくて、感性豊かな所員を擁する教育センターに、3年間おお世話になったことは、私にとって幸せだったと、懐しく思っている次第である。


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