福島県教育センター所報ふくしま No.97(H02/1990.11) -026/038page
「”しがらみ”であれ」
元所長(昭60〜61)折笠 常弘
着任した年は、子供達のいじめ、自殺、坂本九ちゃんを乗せた全日空機墜落事故などショックの多い年でした。また二年目は臨教審が初めて「個性重視」の第一次答申を出し国じゅう教育論で沸騰しました。経済成長や社会の進展に心を奪われてるうちに、歪んでしまった教育の姿を見直し、家庭や学校の在り方の大切さが再認識された年でした。いじめや不登校の資料、方部カウンセリング研修会など教育相談事業が忙しくなり、コンピュータの学校利用の動き、情報機器や理科備品の更新やら所内組織、施設、講座の改善に迫られた年でした。二年目の全教連研究発表大会の見事な運営と全所員による「自己教育力の育成研究」は全国的に高い評価を得、一方、庁内ソフトボール大会の連勝で所の士気は高まり、有志の管理運営勉強会、初のゴルフコンペ(帝王会発足)、カラオケ学習、サンドバーグ君の気球上求婚、全所員コウヤマキ植樹、「絵で見る自然観察の手引」作成など所員の研究意欲は燃え、ヤル気と笑い声に満ちた所内を思い出します。教育改革実践の緒についた今、センターは世の急流に厳然と立つ「しがらみ」(柵)として、自然心で教育哲学をがっちりと構築し、人間不易の人づくりの道を世に示す「教育理論と実践の砦」であって欲しいと思います。
思い出
前所長(昭62〜63)皆川 郁夫
県立川口高校でのボランテアコース推進の仕事から、教育センター所長を命じられて着任しましたが、当初は全教連主催の研究推進による「自己教育力」育成の共同研究への取り組みでした。福島の研究に対する評価が実践的で非常にたかく、全国の集まりでいつも誇らしい思いでした。
また、東北・北海道教育センター連盟の副会長から二年目は会長を引き受けることになり、総会や発表大会等で忙しさは倍増しましたが無事に終了できました。
センターの仕事とし印象に残ること。
1. 全国トップに現職の研修体系ができたこと。(初任・5年・10年研)
2. 情報棟の建築、データーべ一ス化等の見通しがついたこと。
3. 各部プロジェクト推進、研究の質が高く実践的で、公開発表が定着したこと。
課題としながらできなかったことは、研修実践の具体策(初任・5年・10年研)。センター改築構想、特に理科棟、インテリジェント構想、標準学カテストの作成等であります。また、環境整備の面で、太田良平先生寄贈ブロンズ像(青園)設置、教育センター音頭等は、それぞれの分野でエキスパートである所員諸氏に支えられた楽しいセンター生活の日々、懐かしい顔とともに忘れ得ない思い出であります。