福島県教育センター所報ふくしま No.99(H03/1991.6) -001/038page

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巻頭言


次長 斎藤常修

「剣術一遍にしては、まことの道を得がたし」


次長   斎 藤 常 修


学習指導法の研究や授業研究が盛んである。
「楽しくわかる授業」を展開し、児童生徒に「確かな学力」をつけることは、教師の最大の責務 である。また、このことは、”学歴社会”の反映(?)かどうかはともかくとして、「先生の指導 力」に多くの関心を示す親、「教師の資質向上」を要請する社会の期待などにこたえることでもあ ろう。しかも、教師一人ひとりが実践的指導力を身につけ、伸ばすことは、「教師としての成長」 に欠かすことのできない要件であるばかりでなく、授業の転換・充実をはじめとする学校教育の質 的改善にも大きく寄与することになる。
しかし、指導法の研究や授業研究、指導力などの内実が、スイスの教育学者の日本の学校の授業 に対するコメント−−「教師は知識を教授することと、子供の知力を点数化することには熱心だが ・・・」−−のようなものだとしたら、多分に問題を含むことになろう。つまり、それは、「(知識を 効率的に 教授する上で )発問や板書がうまくいったかいかないか」など、 授業の技術 的次元のみで 論議や研究が終始することになるからである。
教師の力量、資質能力を考えるとき、一つには、「指導力としての力量」、「専門的な能力」など と言われるものがある。教科等に関する専門的知識、教材開発力、指導技術などをその内容とする。 これに対して、もう一つのものは、「教師としての力量」、「豊かな人間的資質」などと言われるも ので、洞察力・判断力・包容力等を含み、更には、教育愛、豊かな教養、使命感などと言ったものが その内容とされるものである。
教師の力量、資質能力をこのようにとらえると、先に指摘した問題点は、わたしたちの考え方や研 究などが、ともすると、「指導力としての力量」向上のほうに のみ 目が向けられ、比重が かけられた結果もたらされた、といっても過言ではないように思われる。少なくともそのような実態 ・状況がこれまでにはあったと言えよう。
これからは、
○ 豊かな心をもち、たくましく生きる人間の育成
○ 個性を生かす教育の充実
などが社会・時代から強く求められ、教育の中心になる。しかも、本来、教育というものが教師の人間性 や人格的要素がことさら強く影響し、また、それによって感化されることをかんがえ併せるとき、わたし たちは、「教師としての力量」、「豊かな人間的資質」などを更に磨き高めることが非常に大切になって くると思うのである。


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