福島県教育センター所報ふくしま No.108(H05/1993.8) -001/038page

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齋藤常修

巻 頭 言

「お母さんの顔を見たら泣く 
・・・・・ ではなくてよかったですね」

次 長   齋 藤 常 修


 

 ラジオの育児相談で,「母親の姿が少しでも見えないと泣くので,困っている」という悩みがあり,そのときの司会の落語家の言葉が標題のそれで,有名な医者の回答よりも忘れられない,というのが「いわせてもらお」に載っていました(『朝日』H5.5.9)。
 これを読み,落語家のしゃべり方をも想像しながら笑ってしまったのですが,すぐに以前に読んだある本のことを思い起こし,考えさせられてしまいました。

 ドイツのゲプザッテルという人は,医者が患者を取り扱う場合として,第一に,患者より弱い性格を持つ段階 <<接触> > ,第二に, 患者をでなく,病気そのものを問題にする段階 <<診断治療> > , 第三に,患者と医者の関係でなく,ゼーレンゾルゲ <<魂のおたがいの世話役> > の3段階があると考えています。
 相談に登場した母と子の間では,この三つの段階が日常的に繰り返されており,そのため,“魂の世話役”のお母さんの姿が見えないと,子供はとても不安になるのでしょう。
 ゲプザッテルの考え方は,もちろん教育にも当てはまります。ただ,わたしたちは,第二の診断治療的段階のみを教育と考えがちです。漢字が読めない,科学的思考力が弱い,逆上がりができない,規則を破るなどと診断(評価)し,どうすれば読めるようになり,思考力が育成され,できるようになるかなどの治療(指導)に力を入れています。
 このことは当たり前のことであり,極めて大切なことです。確かに,あることを理解する,何かができる,何かをつくりだしたりするなどのことは必要不可欠なものです。
 しかし,これからの教育を考えるとき,これらのことに加えて,さらに,次のようなことが求められ,深められる必要があると思われます。それは,
 ○ 人にも,ものにも,そして自然にも共感できる・やさしくなれる。
 ○ 美しいもの,善なるものを美しいと感じ,善いものととらえ,しかも,追求できる。
 ○ 人を理解し,相互に分かち合い・生かし合い,人間らしく生きられる。
などです。
 「先生の顔を見たら泣く」はもちろん,「先生の顔も見たくない」などとならないように,ゲプザッテルの言う第三の段階がもっともっと強調され,しかも,三つの段階が絶えず織りなされていくことが大切だと思います。そうすることが,これからの教育に求められるものを達成していくのに大いに役立つと考えるからです。


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