福島県教育センター所報ふくしま No.109(H05/1993.11) -001/038page
(巻頭言)
六 日 の 菖 蒲 ・ 十 日 の 菊
福 島 県 出 納 帳 渡 辺 忠 男
「1年9ヶ月,教育長の職にあったのだから,それなりに感ずるものがあったでしょう。それを書いて下さい」との,ご依頼である。無我夢中で過ごしてきたから,「教育のシロート」だったから,体系的な教育行政の展開どころか,目先の問題の処理に精一杯で,感ずるも感じないもあったものではない,というのが只今の心境である。教育長事務引継のために作成した「懸案事項調書」の膨大さに,只々,慙愧の念・・・・である。
教育のシロート」というよりも,むしろ,「教育界のシロート」とするのが適切かなと思うようになったのは,毎日のように掲載される報道や解説記事,投書欄に重大な関心を寄せざるを得なくなってからである。そこには,自己の受けた学校教育の体験に発する批判,成長期の子どもを持つ親御さんの切実な願望,生涯を通じて自己成長を成し遂げようとする方々の自己実現の欲求など,まさに,「教育のクロート?」のご意見が満載されていたからである。それらを率直に受け止め,ご期待に応えるためには,「教育界」そのものを理解し,そこに積極的に溶け込んでいかなければならないナ,という認識を持った。
さて,その「教育界」なるものは,教育養成課程→教育現場での訓練及び経験→そしてOBの指導助言・・・・・・という人間関係,教職に対する歴史的経緯と社会的要請などから形成されてきた閉鎖的社会(?)のように思われ,短期間での溶け込みには難しさを感じた。
そこで,とりあえずは,「行政屋」に徹することとした。幸い,第4次福島県長期総合教育計画の策定作業が進捗中であったため,教育行政上の問題点については,かなり整理されつつあった。その中から,予算獲得の目途がつけ易いものから着手することとし,財政当局のご理解の下にまず,その一歩を踏み出したところ・・・・・・。
次に手掛けようと考えていたものの第一は,学力の向上は一にかかって,教員の資質と教育技術の向上にあるという視点から,教育センターの機能強化を図らねばならないということであり,また,教員のリカレント教育のために社会資源を最大限活用していこうということである。第二には,学校教育のインテリジェント化である。「○○化」教育と言われるものに,安易に飛び付くことには問題がある。が,社会の変化に可及的に対応していかねばならないことも,また,学校教育の衝に当たるものの責務である。教員の研修,資機材の整備,ネットワークづくりなどハード,ソフト両面にわたり対応できるようにしたいということである。ここまで書いて来て,ふと思い当たった。「事業採択の先後誤り,易きにつきすぎたかナ」と。凡人の常で反省しきり,というのが感想である。