福島県教育センター所報ふくしま No.112(H06/1994.10) -001/038page

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(巻頭言)

次長 鈴木康平

学 習 ・ そ の 楽 し さ の 質




次 長 鈴 木 康 平



『学習することの「楽しさ」って,何だろう。』

以前,ある小学校の全校生に,「算数の勉強が好き,楽しい,もっとやりたいと思うのはどんな時か」について調査してみたことがある。その結果は,予想されたことではあったが,子供たちの気持ちを学習へと向ける大前提は,内容が「わかること,できるようになること」であり,それに「自分の力で解決すること」が加わることによって,「喜び」や「もっとやりたい」と思う気持ちが倍加されるということであった。

学習することの「楽しさ・喜び」を生む対象は,教師の話術,ゼスチャー,教材教具,思考活動など様々であるが,真の楽しさ・喜ぴは,何と言っても一人一人に確かな学習が成立して,学習による自己の高まりを感じた時であろう。

学習とは,辞書的解釈によれば「他の子供たちと一緒になって繰り返しながら基礎的知識や技能を学ぷこと」である。このことからすれぱ,学習することの「楽しさ・喜び」は内容の伴ったものであることは当然のことである。子供たちが本来的に持つ未知なるものへの探究の気持ちを呼び起こし,それを磨き育てるとともに,その成果を実感できるような学習が展開されることによって,「楽しさ・喜び」が一層強化され,倍加されていくものであろう。っまり,子供たちの持つ学ぶことへの元々のプラスの気侍ちを満たし,強力で新たなプラスの気持ちに変えることが学習なのである。

また,世の中には,一見面白くなくとも少し根気よく取り組むと,本当にすばらしい世界が見えてくるということもある。そのことは無理しても子供たちに教えなけれぱならないことであり,そのことを自覚させることも教師の大事な仕事である。つまり,子供たちのマイナスの気持ちからのスタートではあっても,学習することを通して,その気持ちを強力で新たなプラスの気持ちに変えることも学習である。

いずれにしろ,学習は子供たち自身の視野を広げ,高まりに気付かせ,知識が広まることに,心底楽しさを感じられるようにすることが必須の条件である。教え込むのではなく教えることを通して,学ぶことへの楽しさを実感させることが学習である。それだけに,楽しさの「質」が問われるものなのである。活動,体験,思考を通して,子供たちが本来的に持っている「価値追求の心」をどれだけ刺激し,「自己向上への自覚」を実感としてどれだけ高め得たかを常にセットとし,それを尺度に省みる姿勢が大切であると思う。

教えるということは,結果に対して喜んで貴任を取ることでもある。そのことの意味をいつも忘れない教師でありたいと思っている。


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