福島県教育センター所報ふくしま No.116(H07/1995.11) -001/042page
「問 い か け」
福島県教育センター次長 鈴 木 康 平
今年の6月,新潟市で開かれた研究発表大会に参加の機会があり,そこで,実験発生学の研究で有名 な浅島誠氏(註)の「動物の形づくりの謎を追って」と超する記念講演を拝聴した。講演は,生物界の 未知を解き明かすロマンを掻き立てるのに十分なすばらしい内容であったが,先生をこの研究へと向け させた動機を伺い,なぜか強烈な新鮮さを感じさせられた。
その動機とは,生まれ育った「佐渡」という豊かな自然環境ということもあるが,とりわけ「学校時 代に先生から受けた『問いかけ』が大きい」と話され「問いかけ→解決→問いかけ一解決」のサイクル の中で,解決の喜びと自然探究への気持ちを強めていったこと,また,「考える視点と課題を与える」 という点で,教育において「問いかけ」は非常に重要な意味をもつものであることも強調されておられ た。
教育における「問いかけ」は,特に新しいことでもないし,私たちが日常的に行っているあたりまえのことなのに,なぜ,新鮮な感銘を覚えたのだろうか。
昨今の社会の急激な進展は,人々の生活はもちろん人々の心や行いにも大きな変化をもたらした。豊かさと引き換えに,失われるものも少なくないことに警鐘を鳴らす人は多い。そんな中で,教育界は例外と言えるのだろうか。今,学絞は,新しい教育の実現を目指して様々な試みと努力が払われていてその成果の話題が増えている−方で,学校の中心的な活動である授業を支える本質的な理論や手法に関する話題が少なくなりつつあることに,危惧の念を抱いている人もいることを聞く。
教育における「問い」や「問いかけ」は,個々の学習者に何らかの行動を引き起こすことを促し期待する最も重要な普遍的な教育を支える技術であり,最終的には,学習者自らがその対象や方法に働きかけられるようになることを期待される技能でもある。また,学ぶことの喜びや成就感を得たり向上心を培ったり,ひいては人としての道を学ぶのに必要な資質や能力を身につけることへと導く動機づけでもある。その意味においては,学校で行われる教育活動のみならず人間成長のすべてを支える本質的な教育の機能であり.日常的にも,もっともっと話題にされるべきことではないかと思う。
授業に限って言えば,教師の一言が授業の成否を決定したり,また,その一言がその子の人生をも左右してしまったりすることは・よく耳にすることである。毎日繰り返される教育の営みの中で確かな学習成立への内容・方法等の準備と共に,一人一人の健やかな成長へ向ける教師の熱い思いを伝える「問いかけ」の準備に,もっともっと時間と労力が費やされるべきであると思う。そのことが教師の最も本質的な仕事であり,教師が教育に貴任をもつことの意味でもあると思う。
講演での新鮮さは、実は教師としての本質的な仕事を呼び戻されたことへの新鮮さであり,日々の仕事にかまけて、そのようなことに鈍感になっていた私への「問いかけ」でもあったと思っている。