福島県教育センター所報ふくしま No.116(H07/1995.11) -018/042page

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随想

『 満 天 の 星 々 』

飯豊山縦走

情報処理教育係長   小 菅 富士雄

 私が高校2年生の夏休みのことであった。兄た ち3人が飯豊山縦走を計画し,その登山に私を連 れていってくれた。私は,正直に言って持久的運 動が苦手で,登山などは特に苦手であった。そん な私を山好きの兄が誘ってくれたのだった。

【全行程4泊5日;日記】

 一日目,兄の仕事の都合により夕方出発し,米沢(米沢駅にて仮眠する)へ行く。

 二日目,米板線にて小国町まで行く。パスにて 小国登山口へ,弁当を食べようとしたが,悪くなっ ていたためインスタントラーメンを食べる。予定 時間を2時間ほどオーバーする。西俣ノ峰(10 23m)を目指し登頂する。

 三日目,飯豊山(2105m)を目指し緩やか な尾根道を登る。しかし,北股岳(2025m) をすぎた地点で,ギブアップし,キャンプする。

 四日目,早朝に出発し,飯豊山を登り熱塩加納村へと下山した。会津若松に宿泊する。

 五日目,いわきに帰る。

 今も,ありありとあの日々のことが思い出される。

 西俣ノ峰への登山。急な斜面の登山道であった。登山中,何回となく休み.兄に励まされながら登るが,一向に進まなかった。そんな我々の横手を残雪を踏みしめながら直線的に登るパーティーを見て,また頑張り,登り続けた。

“登頂”時間は5時を過ぎていた。テントを張り, コツフェルで煮炊きし夕食を作った。楽しいそし て大変おいしい夕食であった。

 夕日が西の山々に消えかけてゆく。真っ赤な太陽,肉眼で見てもまぶしさを感じない大きな太陽の前に,黒い雲がなびいていた。何とも言えない光景であった。

 あたりが暗くなり,一段と寒さが増しテントに入るが,一向に暖かくならず震えていた。

 寝袋に入る前にテントを出ると,外は非常に明るかった。月の明かりと,それをもしのぐ星々の輝きであった。太陽にも劣らぬ月の大きさと明るさ,ひとつひとつの星たちの電灯とも思える大きさと明るさ。今も脳裏に焼き付いて離れない「満天の星々」,すばらしい思い出である。

 人はよく「登山は病みつきになる」と言うが, 事実,高山植物の小さな可憐な花々を見て,また, 高い山頂でしか見ることのできないすばらしい夕 日,光輝く数多くの星々を見ると,また来たくな る。そんな気持ちが理解できた。でも残念なこと に私は,後にも先にも高い山を3日もかけて縦走 したのは,このとき1回限りであった。

 人それぞれに思い出は多くある。私は飯豊山の登山を通して,登る苦しみと登り切った楽しさ,すがすがしさを深い思いで体験した。

 このことで,以後,何でもやり遂げる精神を養い得たような気がする。


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