福島県教育センター所報ふくしま No.116(H07/1995.11) -017/042page
は,教師と児童とが学習について話し合うために あり,一種の「学習クリニック」として機能した。 児童もノートに書かれたことの主旨を教師に説明 していくことにより,問題点を把握していった。
A子は,一つの自分の考えに固執しがちな児童 である。「等積変形」を学んだとき,A子は図形 の中に方眼をかき,ますめを数えて課題を解決し ようとしていた。「これは,「四角形と三角形の 面積」で行った方法であるが,「もっと別な方法 はないかな」と教師が問いを投げかけても,あく までますめを数えることにこだわった。授業の中 で他の児童がそれ以外の方法での解き方を発表す ると心は動くのであるが,どうしても解き方を変 えることはできなかった。
A子と教師が,昼休み「算数日記」を前に話し ていたとき,教師は下の「台形」の図を10枚あま り渡し,自由に切って知っている形(面積のだし 方がわかる形)を作るように促した。
このとき,A子は紙を幾通りにも切ってしばら く遊んでいたが,そのうち初めて台形の上部を下 部に合わせて,既習の平行四辺形に変形して面積 をだすことができたのである。「こんなことだっ たの」A子はそう言って,ほっとしたようなうれ しそうな表情を見せた。
「できてみればこんなこと」が,算数ではなかなかできないことが多い。いかに適切に機会をとらえて学習課題をクリアさせるかが,教師の力量として問われているように思うのである。
(3)「先生や友達にほめられた」という肯定的な 評価を受けた経験が少なく,20%以上の児童が, 「ほめられたことかない」と意識している。
このことについては,補足説明するまでもない かも知れない。児童をほめて励まして,十分な学 習への意欲付けを図り,基礎学力の向上に努める 必要があることは,あまりに自明のことであるか らである。
6 終わりに
「学力向上」は本県の大きな教育課題の一つである。その学力は,当然「新しい学力観」の理念に立った「生きて働く力」としての学力,「変化する国際社会の中で人間牲の本質を見失うことなくたくましく生きていくことのできる力」であることは言うまでもない。
私たちは,一人一人の児童の学力を高めることの楽しさ・うれしさと困難さとを,経験からよく知っている。一口に「個を生かす」と言っても,それがどれほど多くの教師の毎日の努力と,ときには自己犠牲とから成り立っているかをもちろん知っている。しかしその上で,敢えて問いたいのである。本当に,私たちは成しうる最善を果たしているのか,と。
放課後の児童の帰った教室で,今日の一日を振り返り,児童の一人一人の姿を思い浮かべながら明日はこうしようああしようと考えながらいる時間は,疲労困憊していても充実しているひとときでもある。そんな思いがどこかで実を結ぶときもあろう。児童の学ぼうとする欲求と学ぶことの喜びは,教師の願いといつか必ず結びつくものであることを信じたいと思うのである。