福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.119(H08/1996.11) -001/042page

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◇◇巻 頭 言◇◇

宮前写真

心 を 汲 む

     教育センター次長兼情報教育部長   宮前 貢


 夕闇がストンとやって来るこの時節になると高校時代、自分の不注意で風邪をひき、秋の修学旅行(奈良・京都)に行けなくなったわびしさをふっと思い出すことがある。そんなこともあって、奈良や京都への思いは人一倍強い。

 一昨年、念願の大和路探訪が実現した。「平安」以前の日本を彷彿とさせる斑鳩の里に、法隆寺はその美しさを一層際立たせて静かに建ち、私はその魅力的な姿を見上げて、思わず息を呑んだ。 そして、しみじみ思ったのは、この法隆寺の解体修理の仕事に心血を注ぎ、精魂を傾けた宮大工棟梁西岡常一さん(1995年4月11日没)のことだある。

 法隆寺が世界最古の木造建築として1300年以上生き続けるのは、使われている木が1300年以上生きた木だからだと西岡さんは言う。 法隆寺など飛鳥時代の建造物に見られる先人の知恵の数々に学んだことを西岡さんは、著書「木に学べ」にまとめている。 その中には、法隆寺宮大工棟梁として永く受け継いできた口伝の家訓「堂塔の木組みは木の癖組み」、「木の癖組みは、工人らの心組み」(1)というのがある。 堂塔を建てるときは、木の育ち、木に素性をよく知って木を組み立てることがたいせつで、その仕事をするには棟梁のもとで働く職人の心を組むことが肝要だという教えである。

 1300年以上生きた木の命を預かり、1300年以上の歳月を新たな建造物として生きる法隆寺など飛鳥時代の寺院を守り続けた棟梁の言葉としてこれを読むとその重みと深さに心うたれる。

そして改めた思うのが、「心を組む」ということは、微妙に揺れ動く心を「感じ取る」ことであり、「心を汲む」こと、相手の心に思いを馳せること(思いやり)である。 西岡棟梁の偉業は、一本一本の木々や一人一人の職人を思うこういう「やさしさ」から生まれているのだ。

 ところで、「森林を知りこれを守るなはまず、一本一本の木の訴えに耳を傾けることからはじめなければならない」(2)と書いているのは、森林学者大政正隆先生である。

 動く足、叫ぶ口を持たず発芽した場所で生き続けなければならない運命にある一本一本の木々に寄せる思い。 木々の訴えに耳を傾け何を聴くか。それは、もの言わぬ木々の内なる声、木々の心であろう。

 朝夕、めっきり冷え込んで、野山の木々は、今を盛りに命の限り燃えている。


《註》 (1)西岡常一「木に学べ」小学館p.225 (2)大政正隆「森に学べ」UP選書p.201

 

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