福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.126(H11/1999.2) -001/046page
無 財 の 七 施
教育センター教育相談部長 長谷川 次 男
ある古刹の方丈さんの『無財の七施』という説法に大変感銘を受けた。
「施」とは、「施し」・「布施」のこと、つまり、自分のもっているものを、他の人に与えることだそうだ。
しかも無財だから、財産やお金がなくても、いいわけである。
(一) 房舎施
○ 家にきた人を温かく迎え入れる
(二) 牀座施(しょうざせ)
○ 席がなくて困っている人を見たら、すすんで席をゆずる
(三) 身 施
○ 自分の身体を使って奉仕する
(四) 和顔施
○ 笑顔で人に接する
(五) 言 施
○ 温かい言葉をかける
(六) 眼 施
○ やさしいまなざしをかける
(七) 心 施
○ 思いやりの心をもつ
このように、『無財の七施』は、誰もが心の持ち方次第でできる「布施行」である。ところで、今日の急激な社会構造の変化と進展は、国際化・情報化時代を構築し、物質的生活の向上をみたが、一方で、人間疎外、世代間の断絶傾向による親子関係の希薄化、都市化現象による地域の連帯感や教育力の喪失などを生み、子どもたちや地域の人々の意識や生活に大きな影響を与えている。
このような環境の中で、子どもたちの成長過程における対自然及び対人関係での経験の不足は、子どもたちの情緒の成熟を妨げ、利己的・思いやりの不足(無関心)、慢性的な欲求不満(情緒不安定)、耐性の欠如、自発性・自主性の不足(無気力)、自己表現力の貧困、自己決定カの不足、美的情操の不足(無感動)などといった心理的特質を生み出している。
今日の不登校、中途退学、いじめ、学級崩壊、自殺、校内暴力、ナイフ殺傷事件等の問題は、急激な社会の変化と進展の「歪み」と情緒の未成熟な子どもたちの「心の問題」がもたらしたものと考えられる。このような時にこそ、子どもでも、大人でも人として生きている限り、誰もが行うことのできる『無財の七施』のような行いが、求められるのではないだろうか。
これらの行いが、学校・家庭・社会生活の中で、全ての人に対して、広く分け隔てなく行われたら、こんな嬉しいことはない。
毎日、どれか一つでも行ったならば、私たちは一日一回「施し」をしていることになる。
日々、努力していきたいものである。