ふくしま文学のふる里100選-012/30page

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灰色の藁に下がる
渡部信義
詩  大正一四年(一九二五)
灰色の藁に下がる
 土に根ざして、最下層の生活を生きるしかなかった農民の生活感情をリアルに描き出している。第二次世界大戦後には、初期プロレタリアの詩として高く評価された。

77 乙字句集
大須賀乙字
俳句  大正一〇年(一九二一)

  青嵐蚕棚(こだな)を払ふ天気かな

  木移りの栗鼠(りふ)の影とぶ冬の月

  道遥かに荒海に沿ふ寒さかな

など、明治三六年以降の全作品を収めた句集。

 最初の句には、一時農民俳句とよばれた傾向が、後の二句には「我を没して自然に参入せよ」と唱えた作者の俳句観がそれぞれうかがえる。とくに終わりの句は没年の作で、その自然描写には、四〇歳をまたずに洋々たる前途を残して逝った乙字の内面が見事に重ねられている。

93  雲
山村暮鳥
詩  大正十四年(一九二五)
  
  おうい雲よ
  ゆうゆうと
  馬鹿にのんきさうぢやないか
  どこまでゆくんだ
  ずつと磐城平の方までゆくんか

の詩「雲」で知られる詩集。「序」に詩を書くときは「偉大な拙さ」を求めるとあるように、短かく読みやすい詩一二三篇を収める。

 この詩は平で出していた雑誌『みみづく』に載せたもので、佐藤久弥が発見し、昭和四一年に初めて全国にむけて発表された。暮鳥が茨城県磯浜で作った詩である。

智恵子の生家
もりあお蛙の棲む平伏沼
94 移住民
猪狩満直
詩  昭和四年(一九二九)
移住民
 家族との不和から、二度にわたり北海道阿寒へ開拓者として移住する。その間の希望と苦渋とに満ちた生活を記した詩集が、『移住民』(昭4)で、最も高い評価を得、よく知られている。詩集『秋の通信』(昭9)では、帰郷後の現いわき市小島町での生活が記されている。

 没後久しくして『猪狩満直全集』(昭61)『猪狩満直詩集』(平元)が出版され、広く作品が読まれるようになっている。

96 定本 蛙
草野心平
詩  昭和二三年(一九四八)
定本 蛙
 蛙の詩人草野心平が、蛙を描いた自分の詩から約四分の三を選んでそれらを収録した詩集。「秋の夜の会話」や、●だけの「冬眠」と題された詩や、「る」の文字一行からなる詩「春殖」などがある。

 題字は高村光太郎、写真は土門挙、絵は福沢一郎、岡鹿之助、三岸節子らで、詩集の終わりの部分には、深井史郎が作曲した「蛙・祈りの歌」(作詩は心平)の長い譜面も掲載されている。

大須賀乙字 大須賀乙字(おおすが・おつじ)
明治一四・七・二九〜大正九・一・二〇、相馬生。■軒は郡長、漢文教授などに任ぜられた漢学者で漢詩を多く残す。乙字は小学校時代を平で、中学校時代を郡山ですごす。明治三七年河東碧梧桐門に入り、四一年には新傾向俳句大流行のきっかけをつくる論文を発表した。死後に『乙字俳論集』(大10)と『乙字書簡集』(大11)も刊行された。

山村暮鳥 山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)
明治一七・一・一〇〜大正一三・一二・八、群馬県生。、大正元年から六年までと、大正九年に平に住む。最晩年に書いた小説『B鼠(もぐら)の歌』では磐城の地主釜屋を登場させている。

猪狩満直 猪狩満直(いがり・みつなお)
明治三一・五・九〜昭和一三・四・一六、現いわき市好間町生。貧苦の人生のなかで、優れた農民詩を書き続けた。大正一一年には草野心平、三野混沌らと雑誌『播種者』を刊行している。

草野心平 草野心平(くさの・しんぺい) 
明治三六・五・一二〜昭和六三・一一・一二、いわき市小川町生。福島県を代表する現代詩人で、私家版を含めて三九冊の詩集を刊行、心平の詩業は世界的なスケールに達している。第一詩集『第百階級』(昭3)より蛙が登場している。詩集『乾坤』(昭54)では少年時を思慕、阿武隈の空がうたわれている。

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