近代デザインの先駆けクリストファー・ドレッサー(4/5)

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色絵龍文蓋付壺
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ここにドレッサーの足跡を示す証拠があります。これはドレッサーが日本で買い求めた壷の一つです。壷の底には、1877年1月26日・神戸、というサインが残されていました。
本を出版
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イギリスへ帰国後、ドレッサーは日本滞在の記録と日本美術についての本を出版しました。この本は、当時の日本の情勢を伝える貴重な資料であり、風俗や地理、社会情勢などにも触れています。挿絵も数多く添えられ、デザイナーらしい鋭い批評が随所に見られます。この本によって、更に多くの芸術家たちが、日本を訪れる切っ掛けとなったことでしょう。
自由で抽象的
時間: 27秒
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日本を訪れてから、陶磁器におけるドレッサーのアイデアは急速に変化していきました。以前のデザインに比べると、形は自由で抽象的となり、いくつかの色が交じり合った厚みのある上薬が使われるようになりました。

色絵椿紋龍花瓶
時間: 51秒
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「色絵椿紋龍花瓶」。当時、ヨーロッパでは「ジャポニズム」と呼ばれる日本美術ブームが巻き起こっていました。イギリスでも、日本の様式を取り入れた工芸品が盛んに作られていたのです。西洋と東洋が入り混じった奇抜なデザインには、不思議なムードが漂います。
オールドホール・アザンウェア・カンパニー製の陶器
時間: 55秒
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皿の縁に親指でつけたような窪みがあしらってあります。この窪みは、塩やマスタードなどの調味料を添えるためのものです。このナイフとフォークには、刀の小柄が利用されています。廃刀令によって日本では刀を差すことが禁じられ、需要を失った職人たちは大量の小柄を西洋に輸出しました。日本とイギリスの交流を示す、珍しい製品といえるでしょう。
クリストファー・ドレッサーの影響
時間: 1分07秒
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1904年に亡くなるまで、ドレッサーは精力的にデザイン活動を続けていました。イギリスの美術雑誌「ザ・ステューディオ」は、ドレッサーについて、「商業デザイナーの第一人者。何の変哲も無いイギリスの産業に、ファンタジーとひらめきを添える」と、賞賛しています。ドレッサーの活動は、後にヨーゼフ・ホフマンらのウィーン工房やドイツのバウ・ハウスなど、ヨーロッパ各地のデザイン運動へ影響を与えていきました。

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