画業60年の軌跡 鎌田正蔵(1/5)

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ロボット家族
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キャンパスに描かれた三体のロボット。作家はこの絵に、「ロボット家族」というタイトルをつけました。ロボットとはいえ、彼らの姿には何処かおどけたような人間らしさが感じられます。画面に漂う、空虚な雰囲気。ロボットたちは、精神的なつながりを失いかけた現代の家族を象徴しているのかもしれません。無表情に正面を見据えた彼らは、私たちに何を訴えているのでしょうか。
鎌田正蔵
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郡山を拠点に、多彩な活動を繰り広げた画家、鎌田正蔵。鎌田は独特のユーモア精神で、社会を風刺した作品を数多く描きました。その根底には、社会を真っ向から見据える鋭い眼差しがあったのです。
アトリエ
時間: 時間:52秒
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晩年、鎌田自身が設計したアトリエが、三春町にあります。画家の人柄を反映しているかのような、整然とした佇まい。余計な装飾はほとんど見当たりません。鎌田はこのアトリエで、昭和57年から亡くなるまで制作を続けました。アトリエには、鎌田の好んだクラシックの音楽が絶えず流れていたといいます。

福島県の美術の発展に貢献
時間: 時間:22秒
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鎌田は安積女子高等学校、現在の安積黎明高等学校や郡山女子大学で美術を教えました。また、福島県新美術連盟の結成や、平和のための美術展の開催など、福島県の美術の発展に大きく貢献しました。
画業60年の軌跡
時間: 時間:30秒
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郡山市立美術館では、郷土が生んだ鎌田正蔵の業績を後世に永く伝えるため、作品を収蔵、展示しています。
三春に移住
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鎌田正蔵は大正二年、島根県の松江に生まれました。その後、三春町長を務めることになる父のふるさと、三春町に移り住むことになります。父の転勤に伴い、鎌田は東京や南洋のヤップ島などで少年時代を過ごしました。この南国での暮らしや経験が、後に鮮やかな色彩の画風に影響を与えたといわれています。鎌田が美術の世界に興味を抱き始めたのは、旧制田村中学校に入学してからのことです。そして、画家になる切っ掛けとなったのは、父親・誠二郎のある言葉でした。「人間この世に生きて、死のうとしているのだから何か物を残して死んだらいいだろう」 中学校卒業後、東京美術学校、現在の東京芸術学校に進学し、画家岡田三郎助に絵を学びます。

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