浪江町の文化財(2/2)

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胎蔵界曼荼羅
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胎蔵界曼荼羅は総縦232センチ、横115センチ、紙中縦118センチ、横94センチあります。フクメンの傍ら余白には、次のように「文永六年、甲丑、五月九日、ボンエトモニジデンコレヲカク、奥州行方オカダハクラクインニテシンウマルル、38歳実名キヨマサ」と明記してあります。
金剛界曼荼羅
時間: 38秒
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金剛界曼荼羅の大きさも胎蔵界曼荼羅と同じ大きさで、こちらも「奥州行方イイザキアンヨウジキョジュウノトキ、コレヲカク、ボンエトモニジデンコレヲカク、シモズケノクニフチュウショウコウジリュウゲツボウジュウソウナリ」とあります。
両界原図曼荼羅
時間: 47秒
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両界原図曼荼羅は、日本に密教渡来以後、大日教を所以とするシュウホウの本尊として、壇上に掛けられたもので、古くから高雄曼荼羅、小島曼荼羅など知られています。平安時代末期、鎌倉時代初期以降、種子曼荼羅の製作も相当ありましたが、遺存するものは、割合少ないのです。

県重要文化財指定
時間: 1分18秒
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旧渡部家住宅は、もと浪江町幾世橋荒井の地にあったものを昭和47年に解体し、現在浪江町大字北幾世橋字北原に復元移築されたものです。桁行15メーター75センチ、梁間7メーター48センチで、構造は茅葺平屋建て寄棟造りとなっており、昭和49年5月、県重要文化財に指定されました。口伝によれば、相馬藩の在居旧人のもので、規模などもそれを裏付けるこの地方上層民家の造りとなっております。
旧渡部家住宅
時間: 1分32秒
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四室列型で外縁をまわしてあり、書院をつけない簡単な座敷構え、太い大黒柱、下屋の取りこみをしない加工など、江戸時代後期のこの地方上層農民の生活と住居をよく表現しています。また、えびす柱があり、えびす柱上部の長ほぞの間には、文化8年1811年2月22日の建築月日以下、工人名などを記した墨書板が挿入されており、納戸との境のほぞがきにも同じ年号がみられます。

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